第2-1話「はじめての極悪従霊」

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第2-1話「はじめての極悪従霊」

男は私よりも頭二つ分ほど背が高く、真っ黒だった。 うん、真っ黒。真っ黒だ。 一房だけ長く伸ばされた後ろ髪も黒ければ肌も浅黒く、首元には黒い布飾り。 肩からは腰にかけて短い外套を纏ってはいるが、これも黒。 腕を掴まれた時に翼竜の外殻の様だと思ったそれは薄型の手甲だったらしく、肩、腕、足に似た意匠の装具を身に付けている。 おまけに尻尾を模した飾りには棘らしきものも付いており、何というかもう、見ているだけで痛そうだ。 中に着ているインナーも黒で統一しており、胸元は大きくはだけている。お陰で鍛えあげられた胸板が惜しげもなく晒されており、一応良家の、しかも年頃の娘である私としては目のやり場に困る。 まあ、わざと脱いでると言うよりは服自体がボロボロになったという感じなので、その点に関しては何とも言えない。 唯一黒く無いところと言えばその瞳くらいだろうか。 全身が黒基調なのに対して、その双眸だけは血のように赤い色をしていた。 鋭く威圧的な雰囲気を全面に醸し出すその瞳は、ぱっと見三白眼の様で瞳の比率が低い。加えてよく見ると瞳孔が縦長でどこか爬虫類を思わせる。と、そこまで観察した所で 「おい」 「はひっ!?」 突然声を掛けられ、私は思わず変な声を上げた。 「いつまで握ってる。離せ」 「……え?」 呆然として視線を落すと、私は男の手を握ったままの状態であるという事に気が付いた。 「ご、ごめんなさい!」 慌てて手を離す。 すると男はフンと小さく鼻を鳴らした。 ……何でだろう。今すごく納得いかない。 掴まれたの私なのに。 釈然としない気持ちで男を見ていると、赤い瞳がじろりと私を睨んだ。 「で?」 「……え?」 首を傾げると男の眉間に盛大に皺が寄る。 「貴様は何だ」 「はい!?」 何だ?! 何だって言いましたか、この人!? 「わ、私はベネトロッサの魔術師です!あ、貴方、従霊ですよね!?わ、私が喚ん、だ……?」 後半になるにつれ尻窄みになりつつも、何とか言葉を紡ぐと男はキッパリと 「知らん。俺は貴様の様な小娘に喚ばれた覚えはない」 「え!?で、でも確かに貴方、叡智の扉を……」 「叡智の扉とは精霊、英霊、神霊、悪霊、悪魔ーーそう言った元来物質界で形を持たぬ者が効率良く力を行使する為に現界に及ぶ際、ツールとしての肉の器を得る為に通る通用口の様なものだ。呼ばれなくとも通れる奴は勝手に通るし、近付くのも自由。そんな事も知らんのか。魔術師が、聞いて呆れる」 「うぐ」 何故だろう。 苦節19年……全力で魔術を勉強してきたはずなのに初めて会った、それもおっかなそうな従霊?に思い切り小馬鹿にされた気がする。 「気がする?違うな。事実、馬鹿にしてる」 「そう、馬鹿にーーって、ええ!?」 ちょっと待って!? 今、この人、私の考えてる事……!? 「駄々漏れだ小娘。魔術師なら精神遮蔽くらい使えるだろうが。異界の存在を目の前にして不用心が過ぎる。それでも魔術師か。本当に」 「う、うう……だ、だって!だって!!」 「だっても糞もあるか、迂闊小娘」 「こ、小娘じゃないです!!わ、私にはソルシアナと言う名前が!!……ああ!!?」 思い切り反論したところで、私は自分のうっかりミスに頭を抱えて蹲った。 あ、ありえない。 わ、私、今なんて事を!! 「契約もしていない存在に対して、己の真名を明かすとは……不勉強どころか、憐れなほど愚かだな」 「うぅ……」 「仮に貴様が呼んだとして、どれほどの魔術師かとも思ったが、ここまで来ると阿呆過ぎていっそ清々しい」 「うぅううるさいです!!!」 恥の上塗りとは正にこの事。しかも馬鹿にするのを通り越して、今度は盛大に呆れられてしまった。それも、こんな訳も分からない黒大トカゲに。 「おい、誰が黒大トカゲだ」 「勝手に人の心読まないで下さい!プライバシー侵害で訴えますよ!?」 「なら、その駄々漏れを治せ。聞いてるこっちが迷惑だ小娘」 「だから小娘じゃありません!!」 「貴様など小娘で充分だ。それより小娘、さっさと寄越せ」 いきなりずいっと距離を詰められる。 怖!何この人、怖!! 近くに来られると威圧感が半端ない。 何というか、空気が圧縮されて重くなるというか、とにかく息苦しい。 「ち、近寄らないで下さい」 怯えて距離を取ろうと後退るも、こっちの2歩は向こうの1歩ーーにも満たないので直ぐに水路の際まで追い詰められる。 「仮契約で承諾した筈だ。さっさと寄越せ」 「よ、寄越せって、な、何を!?」 「腹が減った。寄越せ。さもなきゃ喰う」 そう言って男が凄んで見せる。 その瞬間、彼の鋭い牙が覗く。 「これもう従霊とか悪魔とかそーゆーの通り越して完全に魔獣とか妖獣とか何かその類ですよね!??」 「……今度は口から駄々漏れだぞ、小娘」 半泣きで叫ぶと男は苛立ちの雰囲気を纏いながらも、どこか可哀想なものを見る様な目で私を見た。 「……相手をするのも面倒だ」 「そんなあからさまにガッカリした顔しないで下さい!!」 自分でもガッカリなのは分かっているが、何かもう色々とキャパオーバーで自分が何を言っているのかも分からない。 「契約は契約だ。扉を開いたからには責任が生じる。さっさと寄越せ」 「うぅう……」 逃げ場はない。 確か仮契約では魔力を供給する事が条件だった。果たさない場合は従霊は異界に戻るーー術者より魂の格が低い場合は。 だが向こうが自分より上位の存在である場合、術者は魔力を吸い取られ、挙句、喰われてしまうこともあるという。 文字通り、バリバリと。 目の前の男の場合、間違いなく、遠慮も躊躇もなく私を齧るだろう。 頭から、バリバリと。 「含有量が同じなら、腕を齧ってもいいが?」 「うぅ……」 魔力でお願いします。 涙目で訴えると男は嘆息し、ゆっくりとこちらに手を伸ばした。そして、そのまま私の頭に触れる。 ああ、これ、頭もがれる感じかな。 肩を竦めて目を閉じ、震えながら首と胴体がさよならする瞬間を思い描くも 「……あ、れ?」 衝撃は一切なく、ただ頭に手を乗せられただけだった。 「あの……」 不思議に思って口を開こうとした瞬間、それは訪れた。 「……っ!!!」 突然の目眩。しかも目の前がブラックアウトするほどの強烈な。おまけに体から凄い勢いで力が抜けていく。 まるで身体中の血液を一瞬で吸い尽くされるような虚脱感。あまりの事に耐えきれず、私はその場に崩れ落ちる。 その拍子に男の手が頭から離れ、遠のきかけた意識で辛うじて己の肉体にしがみつくのに成功した。 「はあっ、はあっ……!」 呼吸が乱れる。 目の前がぐにゃぐにゃと揺れて、足元まで波の上にいる気がする。 「ほう」 すぐ至近距離にいるのに、距離の割に遠く感じる声で男はどこか面白そうに嗤う。 「昏倒しなかったか」 「……な、に……?」 息も絶え絶えに問うと男は膝を折って、私の顔を覗き込んだ。 「一口くらいで済ますかと思ってたんだが……存外、美味かったんでな。にしても……八割食われてまだ意識があるとは、やるもんだ。小娘にしては上出来だな」 「う、れしく……ない、です……」 ああ、駄目だ。くらくらする。 床に突っ伏したいのを両手を突っ張って堪えていると、男はくつくつと喉を鳴らした。 「出て来て正解だったな。久しぶりに気分がいい。折角だ、暇潰しに契約してやろう。喜べ。通り名の一つを教えてやる」 「通り名……?」 私は首を傾げる。 従霊との契約は本来、真名を得て行う。 通り名では意味を成さない。 「通り名だ。だが、俺にとっては意味のある名だ」 意味のある名? 男の言葉に益々戸惑った。 真名に匹敵する通り名を持つ存在などそうは居ない。もし居るとしたらそれらは高位の意識体クラス。 私なんかがポンと呼べる様な代物ではないだろうし、ましてや現界の際、こちらの世界に何の余波も与えず、遅れてヌルッと現れるのも可笑しい。 強大な力を有する存在は召喚するに当たり、その神威を示す。だが、彼にはそうした神威は見られなかった。 眉を寄せて考えていると、男は気にした様子もなく端的に告げた。 「ヴァウニア・ルルファス」 「ヴァウ、ニア……?」 名前、のようだけれど……これが通り名? てか舌噛みそう。しかもこの名前……どっかで聞いた事がある様な気がしなくもないけれど。 駄目だ。 頭がボーッとして思い出せない。 「名は交換した。後は貴様が俺に現世での、仮初の名を付けるだけだ」 「名前……」 名前。そうだ、名前を付けなくちゃ。 言われて私はぼんやりとする頭で思考する。 契約上の仮の名前ーー現世で生きる存在としての従霊を示す名。それが枷となり鎖となり、従霊を縛る事で契約は完了する。名の縛りがある限り、従霊は主に従うのだ。 「どうした。決めろ」 この状態で決めろって言われましても…… 困惑する。 どうしよう、パッと良いのが思い浮かばない。 そうだ、彼の名前なんだっけ? そこから取ろう。 似た様な名前の方が、彼も反応しやすいだろうし。 ええと、ヴァ、……ルル? 思い出そうとしたが身体の方が限界だったらしい。 てか無理。 もうほんと無理。 頭が重い。目も、手足も。 「おい、小娘」 「小娘じゃ、な……」 ないです。と言おうとしたけど口が回らない。 見上げてみてふと思った。 そう言えばこの人真っ黒だなぁ。 昔、うちでも黒い犬を飼ってたっけ。 一昨年死んじゃったけど、可愛かったなぁ。 フサフサでツヤツヤでモフモフで。 ジューネレトリバーのルーク。私はルーちゃんって呼んでた。 ルーちゃん、天国で元気にしてるかな。もし今死んじゃったら会えたりするのかな。 会いたいなぁ…… 「ルー、ちゃん」 「……あ?」 その瞬間、バシリと電流が流れる様な音がしてその衝撃で私は意識を手放した。 「おい、小娘……!!」 遠くで誰かが何か叫んでいる様な気もしたが、それを確かめる為に目を開けることは、今の私には出来なかった。
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