第2-2話「なにはともあれ、夜は明けて」

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第2-2話「なにはともあれ、夜は明けて」

「……う、ん」 フカフカのお布団が気持ちいい。 暖かくて、何だか幸せな気分になる。 微睡む意識の中でいつも抱き枕にしているクッションを探そうと手を伸ばすと、何だか硬いものに触れた。 ゴツゴツしててヒンヤリしてて、何だろう、何かの鱗みたいな感触でーー 「おい」 「ほぇ……?」 寝惚けた私の耳に届いたのは冷たい、思い切りドスの効いた声。 父でも兄でも、まして弟でもない。これは、この、声は……。 「いつまで寝惚けていやがる、この小娘。離せ、噛むぞ」 「!!!!!??」 ガバリと反射的に飛び起きる。 するとそこには、まるで世界の終わりを告げる黒衣の魔王宜しく、件の黒い男が渋い顔をして立っていた。 「な、な、な、何で!!?」 夢オチじゃなかったぁああ!! いる、いるよ、めっちゃいるー! 黒い人、ここにいるー!! 「相も変わらずうるせえな、てめぇの脳内は」 「う、うるさいです!!人の脳内勝手に覗かないで下さい!!て、て言うか、何で私の部屋に貴方がいるんですか!!?」 乙女の部屋に黒ずくめの不審者とか、どうして誰も止めなかったのか。 当家のセキュリティに物申したい。 私、大事な嫁入り前の娘の筈ですが。 いや、大事、ではないのかもしれないけれど……。 一瞬明るかった気持ちが盛大に萎んでいく。 私は、大事な娘、ではないから。 「叫んだりしょげたり面倒な奴だな、てめぇは。何でいるか?契約したからに決まってんだろうが」 「え?」 そう言われて思い返す。 そうだ。確か昨日、私は召喚の儀でこの人を召喚……というか、遭遇?したのだった。それでそこから何かなし崩しに契約したような、しなかった様な。 「契約は済んでる。印章(シジル)を見ろ。そこにあるだろうが」 そこ、と彼が指さしたのは私の左の鎖骨の辺りだった。慌てて鏡を取り、示された場所を確認する。 「な……何ですかこれーー!!?」 鏡を見て、私は思わず絶叫した。 無理もない。だって私の左の首筋から鎖骨、胸の辺りまで広い範囲に渡り印章ーーシジルが刻まれていたのだから。 シジルとは従霊との契約書みたいなもので、通常親指大の紋様である事が一般的で、契約後、術者の身体のどこかに刻まれる。刻む場所は基本従霊の好みだが、中には複数契約をする場合も考慮し、術者の意向による沿う場合も多い。 印章の大きさ、複雑さ、色の濃淡によって従霊の強さが決まり、普通は大きければ大きい程強い従霊を従えているという事になる。小さくとも印章が複雑であればその分強かったりもするのであくまでも一般論だが、それにしても……。 「何なんですか!この非常識サイズな特大印章は!!?」 「あ?」 涙目で問い掛けると男は意味が分からない、と首を傾げた。 「別に非常識じゃねえだろ。俺のにしては小せえもんだが?」 「どこがですか!!乙女の柔肌に通常の10倍サイズの印章刻む必要あります!?貴方、さてはタトゥーオタクですか!?」 「タトゥーは嫌いじゃねえが、それでも小さくした方だ。ワガママ言うな」 「ワガママ!?これ、ワガママなんですか!?」 不本意です!! 賢明な皆様、どうか想像してみて下さい。 19歳の未婚女性が首から胸にかけて、まるで焼印よろしく赤黒い色をした、獣だか竜だか何だか良く分からないイカツイ刺青をしている姿を。 私なら引く。 全力で引く。 一族の人間だけなら印章に対する理解があるからまだしも、社交界で貴族の方々とお会いする事もあるのに、これは……どう隠せと? 「いいじゃねえか。イカスだろ?」 「そーゆーアバンギャルドな趣味は持ち合わせていません!!」 「……まあ、意趣返しってやつだ。諦めろ」 「何ですかそれ!意趣返しって!!意趣返しって!?……あれ?意趣、返し??」 そこに来てはたと止まる。 「私、貴方に何か嫌がらせ受けるような事しましたっけ?」 「……記憶にねえのか。そうか、それは重畳だな。よし、じゃあ正規のサイズに印章変更してやる」 「ま、ままま待って下さい!!えーと、えーと、今思い出しますから!!」 必死に頭を回転させて思い出そうとする。 確か、昨日は彼に会って、仮契約の後魔力を大量に吸い取られて意識が朦朧として、そんな中、本契約の話が出て、それから……。 「……………あ」 思い当たる節がある。顔が引き攣った。 「思い出した様で何よりだ」 そう、だ……。 私、彼にとんでもない名前をつけてしまった気がする。 「ええと……ヴァウニア、ルルファスさん?」 胸元の印章から意味を読み取り、彼が通り名だと言った名前を呼ぶ。 印章には従霊の真名が刻まれ、その印章の示す意味が読み取れるのは契約した術者だけだ。つまり、私以外がこの印章を見てもただの模様にしか見えず、従霊の真名は分からない。 今、私が印章から彼の名が読み取れたと言うことは、契約が完了している証。 術者は契約時に従霊に名を与える。それがこの世における彼等の名前であり、肉体を持つ為の条件でもある。 で、ここからが本題なのだが、与えた名前は変更が効かない。 いかなる理由があろうと、それは原則不可能とされている。一度決めた名は従霊を縛る為、それを変更するのは契約の解除が前提となるからだ。 契約が解除されれば、その従霊は二度とその術者の元に戻る事はない。契約の解除が、現世での従霊の「死」に該当するからだ。 死んだ者が生き返る事はない。それがこの世界のルールである様に、従霊の世界に於いてもそれは絶対のルールなのである。 つまり……。 「どうした我が主(マイ・マスター)、顔色が悪いぜ?アンタが付けて“くれた”俺の名前、思い出したなら言ってみろ」 「……ーちゃん、です」 「聞こえねえな」 「ルーちゃん、です」 「覚えてる様だな」 がっくりとベッドの上で肩を落す。 私、なんて事を…… 折角色々とカッコイイ名前とか、可愛い名前一杯考えてたのに、なんでよりにもよって昔飼ってた愛犬の名前……しかも愛称の方。 「そりゃこっちが聞きてえよ」 ごもっとも。 それに関してはもう、言い訳のしようもありません。 全面的に私が悪いです。 「どこの世界にこんな見てくれの奴に“ルーちゃん”なんて可愛い名前付ける馬鹿がいんだ?あ、ここに居たか」 「傷口抉らないで下さい……」 「やかましい」 「はい、ごめんなさい」 申し訳なさで、最早小さくなるしかない私。 「あの、ですね……」 何か申し訳なさ過ぎて、おずおずと口を開くと、呆れ返った様な赤い瞳がこちらを捉えた。 「も、もし契約時の名前が嫌で、その……解除をお望みなら……その……」 解除しても構いません。 そう言いかけて言葉を飲み込む。 折角契約できた従霊だ。 何年も苦労してやっと掴んだ瞬間なのに、こんな間の抜けた事で解除なんてしていいのだろうか。でも、本人にとってはやはり不本意だろうし、通り名でも契約できるって事は、それなりに高位の従霊なのだから敬意は払うべきだ。 私なんかが契約すべき相手ではなかったのかもしれない。 迷って、悩んで。続きが言えずに俯いていると、はぁ、と盛大な溜息が聞こえた。 「解除はしねえ。折角現世(シャバ)に出たんだ。またあそこに逆戻りは御免だな」 「……え?」 思いがけない言葉に目をしばたかせる。 すると彼は面倒臭そうに首を動かした。 「契約は続行だ。少なくとも、俺が飽きる迄はな」 「飽きるまでって……」 「飽きたらてめぇ殺してでも解除する。それが嫌なら……ま、せいぜい頑張って、俺を楽しませろ」 そう言ってニヤリと口の端を吊り上げて嗤う。 凶悪な笑みではあるのだけれど、見ようによってはニヒルとも取れなくもない。 尖った歯が怖いけど。 「ルーちゃん……」 何だか感極まって思わず名前を呼ぶと 「あ?」 思い切り不機嫌そうに、ドスの効いた声と冷たい視線のダブルパンチをくらった。 「ごめんなさい」 瞬間的に危機を察知して謝罪する。 ルーちゃんは一瞬眉間に皺を寄せて牙を剥いたものの、押し出す様な深い溜息をつくと 「謝んな。うぜえ」 そのまま大きな手を伸ばし、私の頭を小突いた。 「痛いっ!」 本人は軽くのつもりなのかも知れないが、一瞬首が無くなるのではないかと言う程の衝撃が走った。 「やかましい」 抗議の声を上げると、じろりと睨まれた。 理不尽だ。 でも今は甘んじて受けよう。 だって私は漸く、私だけの従霊を手に入れたのだから。
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