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 父将孝は、本当に峻介たちの家をふらりと訪れた。4月半ばのことだ。  近くまで来ているから寄ってもかまわないかという電話を受け、当然ながら2人は慌てふためいた。  しかし、いざとなれば漣は肝の据わった青年である。 「まあ、いいじゃん。こんな狭いとこでよかったら、来てもらおうよ」  ということになった。  とはいえ、漣にとって同性の恋人の父親というのみならず、将孝は現役の大臣である。普通に人生を送っていれば、おいそれと顔を合わせることもない人物だ。  それだけに、漣の緊張ぶりは傍目にもわかった。天宮漣が「緊張する」などというめったに見られない姿を見ることができて、峻介は少しばかり嬉しくなってしまったほどだ。  公務の途中だという父は主に漣を相手に30分ばかり他愛のない話をした後、迎えの車に乗って慌ただしく帰って行った。  態度には表さなかったが、息子の恋人がどういう人物か量っておきたいという思いもあったのだろう。漣はといえばそんな思惑を知ってか知らずか、少々固くなりながらも素直に会話に応じ、しまいにはすっかり父のファンになってしまったようであったが。  大志がちょうどスイミングスクールに出かけていて不在だったのは、残念なことであった。  2度目に将孝がやって来たのは、それからひと月ばかり後のことだった。その時は引っ越したばかりの広い部屋で、多少、余裕をもって父を迎えることができた。  珍しく休みを取ったという父はラフな格好で現れ、峻介たちと酒を酌み交わしながら陽気に喋った。  漣にはもう気を許したようだ。学生時代に工事現場で働きながら全国を旅した頃の体験談を披露して、2人して現場話で盛り上がり、峻介が少しばかり妬くほどであった。  そして案の定、その日は家にいた大志に、父は一目で心を奪われることになる。  そしてこの聡い子供と数分も話をするうちに、いつものあの鋭利な瞳はどこへやら、すっかり相好を崩している有様で……。  そんな将孝の姿に、漣の緊張もすっかり解けたようだった。  もっとも、その時、父は既に大臣ではなくなっていたのだが。
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