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 5月、蒲田内閣は解散した。国進党の支持率が低下したことで党内部からの突き上げを喰らい、責任を取らざるをえない形での解散だった。  しかし実際のところ、支持率低下の主な原因は、彼らを糾弾する側にいた長老たちによる失言や不祥事であったのだ。  さらには広告塔的立場であった峻介が「ゲイであることを理由に国進党を追い出された」というイメージを、やはり国民に対し拭いきれなかったことも、マスコミでは原因のひとつとされていた。  その点に関しては自分の「演技力」の不足を申し訳なく思う峻介だったが、元はと言えば彼を追い出したのもまた、国進党の長老たちであったのだ。老獪にも彼らは、自分たちがやったことの責任を時の内閣に被せて退陣に追いやったというわけなのだった。  内閣解散により将孝は厚労大臣の座を降りた。瑞田を初めとする秘書たちは悔し涙にくれたというが、正直なところ峻介は、父のことはあまり心配してはいなかった。  父は元々、ポストに恋々とするタイプではない。むしろ、一議員として党内野党のような立場にあってこそ、生き生きと輝く政治家だ。  そんな彼だからこそ、大臣という職を得て成し得たはずの変革も大きかっただろうにと思うと残念ではあったが、少なくとも本人は、さほどの痛痒も感じてはいないに違いない。実際、2度目に会った時の父は、むしろ清々した顔をしていた。  しかし3度目に父が峻介を訪ねて来た時は、様子が違った。  初めて見るような真剣な表情で、大事な話があると言う。6月の半ばのことだった。  大志は静子の家に出かけていて不在だった。ただならぬ空気を読んでその場を離れようとした漣を、父は制した。 「居てくれて構わない。君が信用のおける人間だということはもう、わかっている」  しかしそうして父が話し出したことは、峻介ですら本当に漣に聞かせてよかったのかと慌てるほどの一大事だった。 「峻介、私は、党を離れることに決めた」 「そ…それは、国進党を離党するということですか?」  峻介はそう尋ねずにいられなかった。  自分などの離党とはわけが違う。異端でありながらも長年に渡って国進党に貢献し続けてきた父が党を出るとは、よもや、想像もつかなかったことだ。
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