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「漣……お帰り」
耳元でそうささやき、よりいっそう力を込めて、深く強く恋人を抱きしめる。
今日は職場でシャワーを使ってきたのか、漣は清潔なボディーソープの香りがした。実を言うと峻介は、1日中汗まみれになって働いてきた恋人の、そのままの匂いの方が好きなのだが、今は良かったと思う。汗の匂いを恥ずかしがって、漣はいつも帰るなり浴室に消えてしまうからだ。
華奢な首筋に顔を埋め、甘い香りを吸い込むと、漣は少しだけくすぐったそうに肩を竦めたが、観念したのだろう。何も言わず、じっと抱きしめられていてくれた。随分と疲れているだろうに、そろそろ解放してやらなくてはと思うのだけれど、峻介はどうしたって、その身体を手放すことができないでいた。
今日、目にした、あるいは記憶の中から呼び起した、様々な恋人の姿が心を過って、胸を苦しいぐらいにいっぱいにしていたから。
何もかもが愛しいと思う。あの幼い頃の無邪気な笑みも、ちょっと生意気そうな子供の表情も、少年の頃の鋭い孤独な瞳も、そして今、自分にすべてを委ねてくれるあの深い信頼の笑みも……。
君の、すべてを僕は……。
「愛してる、漣――」
思わず、あふれる感情のままそう告げると、漣は驚いたようにぱっと顔を上げた。そして、ちょっと困ったよう顔で峻介を見上げ、呟く。
「な、なんか変だな。今日の城築さん」
峻介は我に返り、あわてて「すまない」と詫びた。考えてみれば、自分がアルバムを見せてもらったことも、ついさっきまで思い出していた様々なことも、漣は知らないのだ。彼にすれば、あまりに唐突な言葉だっただろう。
しかし、スマホの写真のことは絶対に漣には内緒だと、静子からは言われている。このことを話せない以上、説明のしようもなく、峻介は困り果てる。
だけど漣は、そんな恋人の表情から何かを感じ取ったのだろう。それ以上のことは何も聞かなかった。
そして不意にくしゃっと表情をほころばせて、峻介の大好きなあの笑みを浮かべ……。
「俺もだよ……愛してる、城築さん――」
そう答えて背伸びをし、そっと、口づけてくれたのだった。
――END――
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