2757人が本棚に入れています
本棚に追加
運転手にお礼のメールを返し、手早く身支度を整えていると、車の音がした。秘書の瑞田が来たのだ。
わざわざ迎えに来ることはないと、もう何十年も言い続けているのだが、「先生にひとりで出勤させるわけにはあきません」と、どうしても聞かない。城築家に車を置き、運転手付きの通勤車で2人して出かけることになる。
しかもこの1年ばかりは来るのが早くなった。車の中では、しつこいほどにその日のスケジュールを念押しされる。別に何か失敗をやらかしたわけでもないのだが、どうも、心もとなく思われているらしい。
「先生は最近、孫ボケでフワフワしたはりますからなあ」
というのが彼の弁だ。確かに自分が大志の話をする時の、周囲の「驚愕」と言っても良いような反応を考えるに、相当に相好が崩れていることは想像できるから、孫ボケと言われても仕方がないのかもしれない。
しかし本当は、大志が自分の血の繋がった実の孫ではないことにこそ、瑞田は一言も二言も言いたいに違いない。そこについては何も言わないでいてくれている。
「先生、おはようございます」
聞けば誰もが彼だとわかる特徴的なダミ声と共に、瑞田が姿を現した。
恰幅の良い身体に、迫力のあるもみ上げと太い眉。常に「への字」がデフォルトの口元、そして鋭い三白眼……。痩身でシュッとした顔立ちの将孝よりも、余程政治家らしく見える。さらにはどう見ても将孝より5つ6つ年上に見えるが、実はひとつ年下で、元はと言えば高校の後輩だった。
当時下火になりつつあった高校紛争の真似事で政治に目覚めた2人は、大学でも、創設されたばかりの革新系野党の青年部に所属し、政治活動に打ち込んだ。その後、将孝が衆議院選挙に当選して政治家になると、迷いなく秘書として名乗りを上げ、彼を「先生」と呼ぶようになった。
それからずっと、あまりにも波乱の多い将孝の政治家としての人生を、彼は共にあり続けてくれている。自身の人生をかけて、将孝を守り続けてくれていると言っても過言ではない。
実際、瑞田がいなければ潰れていただろうと思える局面がいくつもあった。決して大げさではなく、政治家としての自分の半分は瑞田でできているのだと、将孝は本気で思っている。
そんな瑞田と、息子である峻介の確執は、将孝にとって胸が痛むことであった。
最初のコメントを投稿しよう!