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 木曜日、国会での審議とテレビ出演を終えた峻介は、翌朝7時に実家を出、自ら車を運転して選挙区へと向かった。  道路が混んでいなければ、1時間も高速を飛ばせば着くだろうか。遠方に選挙区のある議員は「金帰火来」などと言って週末は地元に張り付いていなければならないが、ここなら日帰りで用を足せる。忙しい峻介にとっては、ありがたい近さだ。  彼の選挙区、東京26区は埼玉、山梨との県境に接する一帯にあった。手前はにぎやかなベッドタウン、奥には静かな山間部が広がっている。都心から日帰りで行ける数々の観光スポットでも有名な土地で、東京に育った者なら誰しも、学校の遠足などで2度3度はここへ来た記憶があるはずだ。  その中心をなす東京都葉谷市は、戦後急速に成長を遂げた人口20万人余りの都市だった。  そしてこの街は彼の母方の実家、古箭家ゆかりの土地でもある。  かつて総理大臣として日本の高度成長期を支え、政治家の一族として有名な古箭家の礎を築いた人物でもある峻介の曽祖父、古箭歳三。彼はこの葉谷で生まれ育ち、ここから政治家としての第一歩を踏み出したのだ。  その後様々な事情から、曽祖父自身は活動の拠点を都心に近い別の選挙区に移したが、由緒あるこの地盤は曽祖父の三男、つまり峻介の大叔父に引き継がれ、守られてきた。それをまた新たに引き継いだのが、峻介というわけなのだった。  もともと山間の小さな集落に過ぎなかったこの一帯が、人口30万人を越す中核都市に発展したのは、曽祖父と大叔父の尽力のおかげだと言われている。周辺の道路を整備し、鉄道を引き、この街を都心への通勤圏内にしたのは彼らだった。大企業の工場や大型商業施設などを誘致し、経済的にも発展させた。  そんなこともあって、昔から葉谷に住む人たちの、古箭家に寄せる期待と信頼は今も大きい。だからこそ瑞田は、口を酸っぱくして「地元を大切にしろ」と繰り返すわけだ。
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