0人が本棚に入れています
本棚に追加
今日はよく晴れている。
出窓に置いたスマートフォンがぴかぴか光っているのに気付いたのは、ふと外を見たからだった。幼稚園に行った娘が帰ってくる前に、とばたばた家事をしていた
私は、それに気づいて手にしていた掃除機を置く。
着信は姉からのLINEメッセージだった。
『あの家、ついに取り壊すことになったよ。最後に見ておきたければ週末おいで。ゆりあちゃんはうちで太一郎と史郎と一緒に遊んでいたら?』
あの家、とは私の生まれ育った、古ぼけた一軒家のことだった。大阪のベッドタウンという位置づけで一度は発展はしたものの、団塊世代が引退した今、衰退するばかりとなった街にある。五年前に父が亡くなり、昨年には母も姉と同じマンショ
ンに部屋を買って転居したので、もう誰も住んでいない。
このたび家の目の前を走る府道の拡張する計画が持ち上がり、母はこの機会に道路用地として土地を府に売ることにしたようだ。痛みも激しかったし、ちょうどよいといえばちょうどよいのだろう。
ちょうど週末、夫がゴルフで留守にするというので、私は土曜日の朝に一泊二日分の荷物を車のトランクに放り込み、自宅のある名古屋から二時間ほどドライブして姉のマンションに娘を預けた。
ついでに、母の新居にも顔を出す。築浅のモダンなマンションの一室は、内装から、家具から、食器からすべてピカピカに輝いていて、新しい生活に似つかわしい。
父が亡くなった直後、あのふるぼけた家でしなびたように背を丸めていた母が、あたらしいセーターを着てきびきびコーヒーを沸かしてくれたのは嬉しくもあった。
「あの土地、そんなに高くは売れなかったんだけどね。あたしが死んだあと、どうしようかと思ってたからちょうどよかった。お金は残すようにするけど、病気だのケガだの、何かあったら嫌だから、いまは私の名義にさせてもらうね」
コーヒーをすすりながら、さばさばと母は言う。新しくそろえたカップはすべすべと輝いていて、少女のようにかわいらしい柄のものばかりだ。父が趣味でやっていたような、がさがさした手触りの焼き物は影すらない。
「中はもうがらくたしかないけど、府の担当者さんが、全部ごみで出してくれるっていうからそのままよ。何か思い出のものでも残ってたら持って来たら」
「私の部屋のものは、お母さんの引っ越しのときに全部処分したしなあ」
「そうだね、空き巣も入ってがっかりなものしかないね」
母は静かに笑う。
「でも、最後に一度見ておく」
私はそう言ってカップを置いた。
車庫に車を入れ、玄関の鍵を開けると、実家はどこかかび臭かった。もう死んだ家。そんな言葉が頭に浮かび、私は家に上がると一番に、庭に面した縁側のサッシを開け放ち、空気を入れ替えた。
父がまめに手入れしていた花壇も庭も、雑草でぼうぼうになっている。その向こう、塀越しに、府道を行きかうトラックや車は、車種は新しくなってはいても、変わり映えしない風景だ。大きなトラックが行き過ぎるたび、古い家がぎしぎしと鳴るのさえ懐かしく、私はしばし立ち尽くした。
ふと横に目をやると、床の間横の、仏壇があった場所の壁だけが日焼けせずに色が違う。その上の長押に掛かった、気まじめな顔をした祖父母の遺影が、つまらなさそうに遠い目をしていた。お母さん、これは持ってかなきゃまずいでしょ。
(続きは『不惑wakuwaku』にて掲載。全体3200文字)
最初のコメントを投稿しよう!