第一章 窃盗罪で起訴します

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「そんな感じでさ、さくっとあたしの心を盗んだ窃盗犯!」  次の日、ラウンジで、民法演習の発表の話し合いの合間に、そんなことを告げる。  向かいで同じ班のメンバーがあきれたような顔をした。 「心は財物性ないから、窃盗罪成立しないでしょ」 「キョウの心に有価値性なさそうだしねー」 「そもそも、有体物じゃないし」 「うわー、なんかうざい! 寒いって言われた方がまだマシだった!」  かるーい冗談に真面目に刑法論持ちだされると凹む。  っていうか、そんなに刑法の話持ち出すなら、あんたら答案に書けよ? 論文式の答案で「甲は乙と恋愛関係にあったが、かくかくしかじかな事情から乙を刺し殺した。甲の罪責を答えよ」みたいな事例で、「この点、甲は乙の心を奪っているため、窃盗罪が成立するように思われる。しかし、心は財物ではないため、窃盗罪の客体とはならない」って書けよ? 絶対書けよ! 「そもそもさ、」  真面目、という言葉がぴったりの池田正秀君がさらに続けようとする。既修の二十六歳。真面目、といえば聞こえがいいけれども、正直ただ単に堅物なだけだとあたしは思っている。あと、ちょっと変。 「いいから、発表の話し合いしようよ!」  これ以上、わけのわからないことになりたくないので、自分で話をふって置きながら軌道修正を試みる。  話を邪魔されて池田君が不機嫌そうな顔をする。 「そうねー、正直キョウの恋愛とかどうでもいいし」  言うのは、三人一組の最後の一人。三日月郁子。この人も既修の二十六歳。長い髪の毛を無造作に後ろで束ねている。男まさりの人。スッピンだけど美人って分かる顔立ちで、だからこそスッピンなのがもったいないと常々思っている。  そうして皆でもう一度判例を読み直す。  池田君と郁さんの話を聞く。この二人の議論にはとてもじゃないがあたしは参加出来ない。  二人の話を聞き、わかっているような顔をしながら、ぱらぱらと六法をめくる。めくりすぎて民法のはずなのに一般社団法人及び一般財団法人に関する法律、とかいうのになってしまって慌てて戻る。
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