序文に代えて(大山真貴)

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 わたしたちは動物園で出会った。  檻で囲まれ、窮屈にも見えたかもしれないが、楽し気に音楽が響き、人が笑いさんざめき、衣食住にも苦労せず、ただ文句を言っているだけでよかった。わたしたちは動物であり、観客であり、またスタッフでもあった。  六年、もしくは三年が過ぎて、大学の4年間を終えて、はじめて檻のない世界に放り出されたとき、わたしたちは、ただちにか、ゆるやかにか、それぞれに違いはあったけれど、檻が、監視のように思っていたおとなたちのまなざしが、まがりなりにもわたしたちをまもるためにあったこと、また当時それをどう感じているかはともかく、小さくはない安心を失ったことを知った。 寺田真理が大学を卒業してから、東京に出てきてもう二十年近くが経とうとしていた。  氷河期の就職活動で何とかつかんだ内定から、何度か転職を繰り返して、いま在籍五年目のデザイン会社は、規模も仕事の内容も、同僚も、多少の不満がないとは言えないが、帰宅して、夜にひとり自宅で飲むビールがおいしく感じる程度の満足は与えてくれている。  その日、定時少し前に得意先での打ち合わせを終え、直帰することにして自宅の最寄りの地下鉄駅から地上に上がってくると、薄いコートではしのぎきれないくらいの寒さが袖口から忍び込んできた。  知らない間に秋が終わったようだ。  夕暮れの三軒茶屋は、茶沢通りの向こうにピンク色の雲が見えているものの、夕闇に包まれ始めて、街灯が輝いて見える。自転車の前後に子供を乗せた主婦や、買い物袋を提げた老人がせわしげに家路を急いでいるのを、真理は立ち止まってコートのボタンを留めながら、ぼんやり眺めた。  最近ふと、老後のことなど考える。  結婚するチャンスはきっと何度かあった。きっと、というのは、そうでも思わなければ、思い浮かぶ数人の男との、あの付き合いはいったい何だったんだろうと考え始め、きっと夜も眠れなくなる。彼らとだらだら若さを食いつぶす間に、キャリアアップの勉強でもしていれば、とか、女友達と海外旅行にでも行っていれば、とか、いろんなifがあったから。  ふー、と息を吐いて、そんな考えを吹き飛ばし、真理は家とは逆の方向に足を向けた。  家に帰る前に、コーヒーでも飲んでいこうと思ったのだ。  厚焼きのホットケーキで有名な店に入る直前、ウインドウから見える客席に、ぼさぼさ頭でうつろな顔をした日下りかの顔が目に入り、真理はぎょっとして足を止めた。
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