第一診察

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 焦げ茶色の闇に包まれながら十数分向き合って、やっとそれらしき表現を思い出した。    がらんどう  真っ黒い円に見つめられながら、私は息を吐き出すと同時に、わかりませんと答えた。  回答に対して目の前の医者は、右手に持った板を、左手で持ったペンでこつこつと叩きながら数回小さくうなずいただけであった。私の視界のちょうど真ん中あたりにある、嘴のような形の平べったい三角錐が、小刻みに上下する。ろうそくの光に目をやられてしまったからだろうか。ごく自然な意識で、足元に視線を落としたくなった。年季の入った清潔な板間に、重苦しい深緑色をした、自分の靴が乗っかっている。  潔く納得できないものの私は病人である。自宅は診療所から少し離れの街にあったから、惜しみなく馬車を使った。その地に腰を据えた者としての公務を終えて馬車に乗り込んだのは、空の一部がほんのりと桃色になりはじめた頃合いで、気がついたら陽が落ちるのを狭い窓越しに眺めていた。  一つ手前の街で馬車を降りて、そこからは歩いた。既に空は紫色に染まり、澄んだ空気は肺に切り込む態度を崩さない。初めて歩く道のうえ、そこが想像以上に街から離れの奥まった森にあったためだろう。診療所にたどり着く頃には出発時の二倍は疲れていたが、これより方法はなかったため仕方がない。  着ているコートの襟を正して木製のドアを叩いた。ほどなくして、小さく開いた木製のドアと漆喰造りの壁の間から控えめに顔を出した、えらく目力のある医師助手に入室を促されて、医者と向き合って座っているという今の状況に至る。  「それがあなたの周りに現れ始めたのはいつ頃です?」  「二週間と三日前からですね。」  まともに話せば悪魔に取り憑かれていると気味悪がられるような、私と似たケースの患者を多数抱えている診療所だというのだから、とうていまともなところではないのだろうと思っていた。  しかし実際その心構えは、実に絶妙な具合で私の意識から中途半端に削がれることとなり、その代わりに想定していた非常識さとは違った非常識と直面することとなったから驚きだ。
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