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九十話 古本屋 ④
「リンさん! リンさん! 待ってください! リンさん!!」
古本屋から飛び出したリンをミイナも飛び出し追いかける。リンのスピードは速い。だが、それは普段の話。俯いて走る今はミイナでも追いかけられるほど。
「ハァハァ……、リンさん……」
「……ボクって邪魔なのかな」
俯いて走っていたリンは大きな樹の前で止まった。樹の前で顔は下を地面を向いてる。その背中へミイナ恐る恐る言葉を投げかける。
「そ、そんなことないですよ、コウジさんもきっと何か理由があって……」
「……理由ってなに?」
「そ、それは……その……」
答えを知らない問いに対しまともに答えることが出来ない。しかし、それは間違いだった。答えないのは肯定と同じ意味を持つ。
「……この前だって書き置き一枚残して勝手に出てった。その後探して、……やっと、見つけた時もボクと一緒に居る、の……、すんごい……嫌……、そうだった」
樹に向かいミイナに背を向けている今リンがどんな顔をしているのか分からない。だが、その小さな背中がか弱く震えていることは見て分かってしまう。
「……し、師匠は、ボクのことっ……嫌いなんだっ。ボ、うっ、……ボ、ボクなんて……ボクなんて生まなきゃよかったって思ってっ、るんだ……、…うう、うあ、うあああぁっ……!」
ついには大きな声で泣き出したリン。溢れた悲しみは雫となり零れ落ち、足元を濡らしていく。
「リ、リンさん……」
「ううわあーん!ボクはっ、邪魔なんだっ!いない方がっいいんだっ!生まれなきゃっ、よかったんだっ!」
泣き出したリンに対しどう言葉をかけるべきなのか迷うミイナはただ見ているしか出来なかった。何をするべきか。何という言葉をかけるべきなのか。一つも間違ってはいけない。間違えると最悪な結末を迎えると重圧を感じ、それが更に頭を乱す。
「うえっ、えええぇ…、し、師匠は、いつもっ、ひっく、ボクをうう、悲しそうな目で、……見てた……」
ただでさえ小さなリンが更に小さくなっていく。このままではリンが消えてなくなってしまうようにミイナは感じていた。いつも元気で笑顔の絶えないリンが消えてしまう。心が壊れてしまう。それは防がなくては。だが、答えが見つからない。
「うううっ、なんで……? なんで悲しそうなのっ……? んぅぅ、……親子なのに……」
「……親子……」
泣きじゃくるリンが言った一言。「親子」という一言。特別な一言ではない、普通の一言。
だが、この一言がミイナの雑念を吹き飛ばす。迷いも重圧も全てが吹き飛ぶ。リンにとってもミイナにとってもこの単語は大きな意味があった。
ミイナは少しの間目を瞑る。リンの震える小さな背中も泣きじゃくる声も今は見えない聞こえない。今見るのはかつての記憶。
ミイナは思い出す。かつての、在りし日の記憶を。
そして、すべきことを見つけ目を開く。
「……リンさん。ほら、コウジさん言ってたじゃないですか。何が起ころうといいんだなとかなんとか。きっと今がそうなんですよ」
かつてミイナがコウジと初めて会った時のコウジとリンの会話の一部。私と関わることで何が起ころうともいいのかとリンへ問いかけていたコウジ。
「これからその何かが起ころうとしていて、それからリンさんを守るためにわざと拒絶している様なことをしているんですよ」
「……何かって、なに……?」
「それは分からないです。コウジさん話してくれてないですもん」
コウジの言う何かは二人共知らない。コウジは多くを語らない。彼の口から出る言葉は彼自身を褒め称える言葉がほとんどで、自身の過去や目的などは一切語らずリンでも全く知らないことだ。
「でも、きっとそうなんですよ。だって、シオンさんを監禁までしてるんですよ。何かすごいことが起こるんですよ」
「…………そんなの分かんないじゃん。本当に師匠が何かあるかなんて」
人を監禁するという大それたことまでしているコウジ。しかし、それが何を意味するのかまでは分からない。これからの事に繋がっているのかもしれないし、単にその事だけで完結するのかもしれない。どういう意図でコウジがシオンを監禁なんてするのかは二人には分からない。
「そうですね。じゃあ、探りに行きましょうよ。コウジさんが何を隠しているのか」
「探る……?」
それなら探ればいい。分からないなら分かるようにすればいい。コウジが何故シオンを監禁したのか。何をしようとしているのか。これから何が起きるのか。
「知らないまま、分からないまま、このまま進んで、もう元に戻れなくなったら悲しいでしょう? 探りましょうよ。話しましょうよ。どんな些細なことでもいいから、見つけに行きましょうよ」
「……探っても何もないよ……」
「その時は、その時で考えましょうよ。私賢くないからあんまり力になれないかもしれないですけど、精一杯力になりますから。…………もう、会えなくなってからじゃ何も出来なくなりますよ」
ミイナの言葉にピクッとリンは反応を示す。
「もう会えない……?」
「……ただの勘ですが嫌な感じがするんです。ここで間違えたらもう取り返しがつかないことになる気がして」
「……そんなのミッちゃんが思ってるだけじゃん」
「そうですね。でも、もし当たったら嫌でしょう? 当たってからあの時しておけばって後悔したくないでしょう?」
ミイナの優しく諭す様にリンへ話しかける。年長者が年少者へ諭す様に。知る者が知らぬ者へと伝える様に。そして、その声色とは裏腹に言葉にはある思いが秘められていた。
「…………私は今も後悔しています」
自らの後悔の念が。
「もっと話しておけばよかったなーとか、もっと言う事聞いて、お手伝いして楽させてあげればよかったなーとか。……もう私は大丈夫って返事してあげたかったなとか。……私は出来なかった」
ミイナが思い出したのは自分の両親のこと。もう二度と会えない彼らの為に自分は何が出来たのか。もっと何をするべきだったのか。これは出来た。あれは出来なかった。これをしてあげたかった。後悔してももう遅い。もう二度と会えない。
「リンさんはまだ間に合いますよ。頑張りましょうよ。私も力になりますから。弱いけど、役に立たないかもしれないけど、盾になることぐらいは出来ますよ。辛い事ははんぶんこしましょう。一緒に泣いて、一緒に苦しんで。そして、一緒に笑いましょうよ。私達、そんな師弟じゃないですか」
だが、これから何をすべきなのかは分かる。会えない彼らが何を願っていて何を自分はすべきか。同じ後悔を目の前で繰り返させるのか。それを彼らが、自分が願っているのか。自分は何をしたいのか。
「……師匠に拒否権は無いんですよっ! 嫌って言っても首根っこ掴んで引っ張って行きますから!……ねっ?」
ニヤニヤと笑いながら問いかける。いつも助けてくれる師匠ならどうするか。きっとこうするだろうな、最低だな。でも、これに助けられてきたんだから、今も助けてもらおう、と。
「…………ごめん。嫌なこと思い出させちゃって」
「いいんですよ。……あれがあったから今こうしてリンさんとお話し出来てるって面もありますし。それに謝って欲しいから思い出したんじゃありませんよ?」
師匠が弟子を助けるのは当然。そして、逆もまた然り。助けてはいけないという道理は無い。
「……うん。そうだね。ごめんじゃないね」
ぐしぐしと濡れた目を拭う。今もう必要のないものだ。
「ありがとっ! ミッちゃん!」
ミイナへと振り向いたリンは笑顔で前を向いた。
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