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藤壺の君
春の甘さを含んだ風が、瑞々しい若葉の爽やかな香りを運び始める頃、其れは小さく慎ましやかな花弁を綻ばせる。全ての生が焦がれてやまない太陽ではなく、地面に向けて連なる花弁は、早く土に還りたいと願っているようだ。自分が、自分が、と土に還るのを競いあうように、垂れ下がり薄紫色の花弁を開いている。
「藤くん、お姉ちゃん、ブドウがなってるよ」
「源ちゃん、それは藤っていうお花よ」
「ふじぃ? 藤くんと同じ名前だね」
零れ落ちそうな程の花が垂れ咲く藤棚に触れようと、紅葉のような小さな手を懸命に伸ばす幼児。
「届かないよぉー」
「大きくなったら届くよ」
目尻に涙を浮かべて、頭上高くに咲く藤の花房を悔しそうに見上げる幼児の頭を、宥めるように優しく撫でる少女。
「どうしたら大きくなれるの?」
「ニンジンもピーマンもちゃんと食べたら、すぐ大きくなれるよ」
「うん、ニンジンもピーマンも食べる。藤くんのお花にお手手が届くようになったら、藤くんボクと結婚してね」
「駄目っ! 藤くんは私と結婚するの」
小さな姉弟の可愛らしい喧嘩。
あの頃に戻れたら、こんな過ちだらけの人生をやり直せるのだろうか? 何度戻っても、愚かな俺は同じ過ちを繰り返すだけなのか?
はらりはらりと薄紫の小さな花弁が、土に還りたいのだと唄うように舞い落ちる。
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