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瀬木の訪問があってから私は、馴染みのスタジオを何件か回り、彫師業界の状況を聞いていた。このお店で五件目だった。
どのお店でも、景気の良い話しを聞くことはなかった。業界全体に漂う曇り模様。そして晴れる気配はなく、傘もなくただ雨を待っているだけ。そんな気持ちだった。
スタジオを出ると、十七時を回っていた。遅刻だった。私は久々に全力で走った。白い息をチラつかせながら、繁華街を駆け抜けた。
道すがら、ビルの地下から姉が看板を持って出て来るのが見えた。私は挨拶したが、完全に無視された。「ちゃんと、お金払いに行くから」と付け加えても、姉は無言だった。
自分のスタジオへ戻るころには半を過ぎていた。携帯電話で連絡を入れておいたはずだが、スタジオのドア前にロングスカートの女性が体育座りをしていた。
私は慌てて、彼女に駆け寄り「遅くなってごめんね」と謝ったが、ニコニコと笑っているだけだった。座っている彼女を引き起こそうと手を掴んだが、その手の冷たさに思わず驚いた。
「ずっと待ってたの?」
「うん」
私は彼女をスタジオに入れ、待合室のソファに座らせた。待合室に飾られた、タトゥーのデザイン画や写真の数々に、彼女は茫然とし、キョロキョロするばかりだった。
その間、私はキッチンで暖かいコーヒーをいれた。
「遅れるって連絡したんだから、そこら辺のカフェにでも入っててくれたら……」
私は彼女にコーヒーを渡し、ソファに腰を掛けた。
「お金もったいないじゃない」
「じゃあ、コンビニに居るとか」
「お金もったいないじゃない」
「何も買わずに出てくればいいでしょ」
「そんなの悪いよ」
二十八歳とは思えない純粋さで、頭を振る彼女こそ、私の母親の入院を電話で教えてくれた幼馴染の仲村亜希だった。
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