87人が本棚に入れています
本棚に追加
/98ページ
良人に懇願を無視され、置き去りにされ。
あまりの情けなさと切なさに、涙を浮かべずにはいられなかったわたしは、薬師に背を向けて、枕にきつく顔を埋める。
「后よ、いかがなされた」
なんの感情も読み取れない声が、わたしにそう訊く。
「今宵は『火照り』を持て余しておいでだと伺い、参上いたしましたが」
その声はとても不快で不快で、わたしは上掛けを引き被って、きつく両耳を塞いだ。
薬師がごく小さな溜息をつく。
「どうやら、気持ちが昂りすぎておられるご様子……すこし、お気を緩めていただいた方がよろしいようで」
「い…や…」
わたしは、上掛けの中で震える声を絞り出す。
「あっちへいって、出ていって」
「后のご命とはいえ、そういうわけには参りませぬ」
薬師が淡々と続けた。
「……一度の機会とて無駄にはできませぬゆえ。さらにソウレイ様の月の御巡りにおかれましては、この数日が、おそらく最も陽の気が高まっておられる頃合いのはず」
そして何かの準備を整える物音がして、部屋の空気がフワリと変わりはじめる。
――香を、焚いているの?
甘いような冷たいような。
不思議な香りが、少しずつ強まってくる。
――いい香り。
最初のコメントを投稿しよう!