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放課後、自分がグラウンドに出る前に美術室を覗いたが、結依は他の部員と談笑していた。
(そっか、部員は一人じゃあないんだよな……)
背を向けようとした時。
「結依ぃ!」
一人の女子部員が大きな声で呼んで、結依の背を叩いた。
その時初めて知った、その女生徒の名を。
(ゆい、か……)
思わず笑顔になっていた。
こんな感情を、随分昔に感じた覚えがある。
密かに気になっていた女の子の何かを知った時に感じる嬉しさだ。
そして彼女の名前すらも知らずに、そんな感情を抱いていた自分に驚いた。
支倉はグラウンドには行かず、職員室に戻った。
周囲を見回し、数人いる職員が自分の事には気を配っていない事を確認してから、棚に並べられたクラスの名簿を手にした。
結依が二年生なのは、校章の色から判断した。
そして自分は二年生の奇数クラスを担当している、つまり結依は偶数クラスの筈だ。
ラッキーな事にそれはすぐに見つかった、二年二組の名簿にあった、『田浦結依』の文字。
(……二年二組か……)
他のクラスにも『ゆい』はいるかも知れない、しかし何故か確証した、この『結依』が、絵画に夢中になっている『結依』だと。
甘酸っぱい気持ちに満たされながら、その名前を指でなぞっていた。
*
シャクヤクの絵は完成間近だった。
もう細い部分のみだ、結依は美術室で一人、更に熱中してキャンバスに向かっていた。
「田浦」
男性の声に呼ばれて、顧問かと思ってゆっくり振り向いた、だが、立っていた人物に息を呑む。
「はせ、くら、せん、せい……?」
支倉は微笑んで立っていた、やはりこの生徒が『田浦結依』であったことが嬉しかった。
「あ、もう、そんな時間で……!」
いや、まだ窓の外は明るい。
「悪い、悪い、まだ平気だ。田浦に渡したい物があって」
「はい……」
支倉はタオルに隠してあった汁粉の缶を出した。
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