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「へえ、うまいもんだ」
その声はすぐ耳の近くでした。
思わず横目で見た、支倉は結依の肩に顎を乗せんばかりの位置で絵を見ていた。
その近さに、結依は息を呑む。
「写真みたいだな。俺も練習したら、こんなにうまくなるのかな」
「は……い」
結依はようやく声を出した。
「よく、物を見て……それを忠実に再現すれば……」
「はは、お絵かきは幼稚園から苦手だ。犬を書いたら馬か猿かと言われてさ。馬ならまだしも猿はないだろ?」
笑う横顔に見惚れた、壇上で見た凛々しさと違って少年のような表情に、何故だか胸が高鳴った。
「……あの……」
「ん?」
「見て、いられると、緊張します……」
嘘だ、顧問の東の視線を浴びていても全く気にならない。
「ああ、ごめん」
支倉は素直にどいた、体温が遠のいたのを残念に思う。
「あとどれくらいで終わる? 時間がかかるならまた後で来るけど」
「多分……十五……いえ、二十分は……あの、ちゃんと鍵は閉めて帰りますから」
「いいよ、いいよ。生徒一人残すのは心配だから。じゃあ二十分したら来るからな」
支倉は笑顔を残して教室から出て行った。
ドアが閉まると。
結依は筆を握った手を膝に置いて天井を見上げた。
心臓が高鳴る、早まった鼓動が指先にまで伝わって震えていた。
(いい、香りした……)
オーデコロンだろうか、整髪料かも知れない、まだ残り香が漂っていた。
男性でもそんな香りを漂わせるのだと初めて知った。
(顔立ちだけじゃなくて……肌……綺麗だったな……)
男性をあんなに間近で見たのは初めてのような気がした。
(絵、褒めてくれた……)
幼稚園から絵画教室に通っていて、上手だと褒められたのは初めてではない。なのに何故か支倉の言葉は嬉しかった。
(支倉……先生……)
まだ、恋は自覚していなかった。早鐘を打つ心臓の意味が判らなかった。
二十分して、教室に来たのは美術部顧問の東だった。
ボサボサ頭をかきながら、サンダルをペタペタ言わせて入ってきた東に、必要以上にがっかりした。いつもなら明るく迎え入れるのに、こんなに遅くまで残らなければよかったとすら思った。
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