3.雪国パルプ

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3.雪国パルプ

北海道の風丘から昼休みに電話が入った。 「この会社はおもしろそうだ。創業者一族は昨年中に全員引退して、四十五歳の新社長が誕生したそうだ。その社長が辣腕をふるって、十六人いた役員を四名に削って、最新鋭の機械を入れたので償却費はかかるけど、来年の決算で計上利益は倍増するだろうって、営業部長がこっそりうち明けてくれたんだ。こうとなったら、山興が総力をあげて買い始めることになるだろうから、信用取引も使ってフルに買いこむことだ」 電話のむこうから、風丘の心臓の鼓動がきこえてくるような気がするほど、熱気のこもった話だった。電話をきると、凜子は再度全顧客に電話をかけなおした。その結果、現物が約五十万株、信用取引で三十万株の約定が成立した。買値の平均は百一円だった。信用取引は現物の二倍まで買えるから、あと七十万株までは可能だった。百円の買値に対して二割高の百二十円になったら、あと三十万株を買いのせよう。出来高の伴った動きだったら、百五十円で残りの四十万株を買いのせよう。凜子は自分一人の胸にそう言いきかせて、背筋をのばした。周りの外務員だけでなく、若手の営業マンたちまで凜子に材料を聞きにきた。 「材料になるようなことは何もわかりません。ただ、一ヶ月前からじりじり上げてきているので、とび乗っただけです。あぶないと思ったらとび降りるつもりですが、出来高が連日百万株から五百万株もできているので、とび降りられると思いまして・・・」 彼女の話をきいても、彼らからは敏感な反応は返ってこなかった。山興の調査部からのニュースだ、とは口が裂けても言えなかった。北海道から日帰りした風丘の説得のせいか、翌日は山興の積極的な買い手口が目立った。出来高は一千万株の大台にのせてきた。翌日も、株価は比較的おだやかな動きで、百円とび台で揉み合っていたため注目する業界紙もなく、したがって人々の話題になることもなく静かだった。三丁目老人は昼になると現れ、凜子の入れるお茶と、みそ汁をおいしそうに飲んだ。週末には、雪国パルプは百二十円台にのせてきた。凜子は客との約束通り、百二十円で三十万株を信用取引で買いのせていた。それをじっと見ていた老人は、みそ汁を運んできた凜子の耳元でささやいた。
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