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長い冬がおわって、ようやく春めいてきた午後、島凛子は同期入社の営業マンの重本一郎と議論を戦わせていた。重本はT大出の秀才で営業マンの中でも理論派として、上役からも一目おかれる存在であったが、営業補助の凛子と日本経済の先行きについて議論をしていた。重本は持ち前の悲観論を展開していた。
「日本経済は昭和四十年の金融不況からようやく抜け出して、五年たったが、先行きは決して楽観できるような状態ではない。第一に、アメリカの経済が今のような悪い状態では、わが国の経済発展はありえない」
という彼に対して、凛子は反論した。
「日本の輸出製品はアメリカの技術を上回って来つつあるので、日本経済の未来は明るいと思います。アメリカがくしゃみをしたら日本が風邪をひく、といわれた時代から脱却しつつあると思うのです」
重本はそれを聞くとにやりと笑って、
「そういうのを楽観主義というんだろうな。まだ日本は後進国だよ。工業製品でアメリカを上回るような良いものが造れていない状態で、そういう楽観論をふりまわすことは、害になることはあってもプラスにはならないと思うよ」
と傲慢ともとれる態度で言いきった。それに対して凛子も負けてはいなかった。
「日本人はアメリカの物まねから脱け出して、家電製品だけでなく、今に車ももてる時代がくるし、住宅もウサギ小屋から脱して、ゆたかな時代が目の前にきていると思います」
そのとき店頭に重本の客がきて、二人の議論はそこで中断した。少しはなれた席で、二人の議論をきいていた営業主任の風丘遼が、凛子のそばにきて話しかけた。
「ぼくは君の意見に賛成だな。日本の経済は発展途上だし、国民の生活は益々よくなると思うんだ。楽観的という意見も一理あると思うけど、ながい目でみれば、日本という国は世界でも有数の経済大国になれると思うんだ」
風丘はそれだけ言うと、カバンをもって外出した。凛子は彼の背中を見送って、胸が暖かくなるのを感じた。風岡は同僚の三宅や猪熊のような派手な株の商いはしないし、いつももの静かに人の意見をだまって聞くタイプの人間だったので、今のような意見を言うのをはじめて聞いたような気がする。凛子は風丘には以前から好意を抱いていたが、いまあらためて好感を抱いた。ある日、昼のやすみ時間に周囲にだれもいないことを確認して、凛子はそっと風丘に近づいた。
「あの、御相談があるんですが・・・」
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