7.売りの山仙

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7.売りの山仙

「手数料損なら、大成功だよ」 三丁目老人は、歯のぬけた口を大きく開けて笑った。翌日から数日間株価は低迷した。安値は四百四十一円まであったが、四百五十円近辺での揉み合いがつづいて、出来高も数日前の約半分に減少していた。 「山仙は焦っているだろう。崩そうと思っても崩れない。どこかの大手証券がテコ入れしている訳でもないのに、株価は下げない。不思議なものだな、相場というものは。人智より叡智といってな、相場の自然な流れに逆らう奴は、みんなつぶれて行った。山仙は、あがけばあがくほど深間にはまって行くだろう」 老人は独り言のように言って、立ちあがった。東洋火薬はその後、走りだすたびに大量の売り物をあびて値をくずした。カラ売り残高はついに七百五十万株に達した。カラ買い残高は六百万株であったから、逆日歩が一円ついてしまった。弱小投資家であれば、たとえば、十万株のカラ売りに対して、日歩を毎日十万円づつ取られる計算であるから、二週間もつづくと悲鳴をあげるところである。山仙は売れば売るほど、逆日歩が一円五十銭、二円と増えてゆくことを覚悟しなくてはならない。凜子は、風丘に相談をもちかけた。風丘は云った。 「押し目を現物で拾っておいて、五百円台にのせたら、その瞬間に信用で買いのせるなら安心していられるだろう」 「五百円台に乗せるようなエネルギーを感じたら、さすがの山仙もあきらめざるを得ない、という事ですね?」 「そう、大台替わりすると、売り方の弱小投資家はあわてて買い戻しにかかるし、買い方は回転が利きだすから、入れかわり立ちかわりで、大証券が手をださなくても吹きあがって行くだろう」 「目標値はいくら位でしょうか?」 「凜子ちゃんにしては、珍しい愚問だね」 「あ、すみません。うっかりしました、山仙が踏むまでですね?」 「その通り。山仙が白旗をかかげるまでは、相場はつづくと見るべきだね」
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