7.売りの山仙

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凜子は四百五十円近辺を現物でコツコツと拾いはじめた。株数が二十万株に達したころ、株価は保ち合いを離れた。四百七十五円の高値を超して四百八十円をつけた。この瞬間、凜子は意を決して四百八十一円で十万株を買った。山仙がたたいても投げずに、さらに十万株を買う腹を固めた。その日、山仙とみられる五十万株の成り行き売りがでて、大引けは四百七十円だったが、凜子は大引けでさらに十万株を買った。これで現物は合計四十万株になり、ファンドの元本の三分の二を投下したことになる。 日証金のカラ売り残高は八百万株を越し、カラ買い残高は六百五十万株にまで増えた。そのため、逆日歩は一円二十銭にはね上がった。翌日は、寄りつきから買い注文が集中して、十円高の四百八十円ではじまった。凜子はホッと胸をなでおろした。山仙の強引なやり方を見抜いた大衆買いが集まったのであろう。その日は、四百九十円の高値をつけて、大引けは四百八十五円であった。出来高は急増して、一千三百万株に達した。凜子は体中の血液が泡立つような興奮を憶えた。山仙商事という名の大仕手を向こうに回して、大勝負をかけようとしている自分を、遠くに見ているような奇妙な気分もあった。 三丁目老人はあの日以来、依然として-姿をみせなかった。毎日でも風丘に電話をしたかったが、彼の立場も考えなくてはならなかった。山興証券という一万人以上の社員を擁する大企業の、調査部課長代理に若い女がひんぱんに電話をかけることは、周囲の顰蹙を買うであろうし、それが仕事上の話だとわかっても、他証券のコミッションセールスに調査情報を流している、と勘繰られる恐れもあり、彼が懐金で手張りをやっている、と痛くもない腹を探られる恐れもあった。 凛子は大勝負を目前にして、相談相手がいない辛さを味わっていた。五百円を目前にして強含みに相場を展開していた東洋火薬は、三日後についに五百円台にのせた。凜子は、五百三円で二十万株を信用で買った。翌日、五百二十七円で二十万株を、次の日は、五百五十二円で二十万株を、中一日おいて、五百七十五円で二十万株を買った。四十万株の現物を担保に、限度いっぱいの八十万株を信用で買ってしまった。
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