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凜子は答えを予期していたらしく、表情を変えなかった。
「そういうことなんで、諦めてもらえんかな?」
「営業マンになるためには、系列の子会社へ行くしか、手がありませんか?」
「しかし、系列店へ行っても、営業マンとしては採用してはもらえないよ。歩合外交としてなら雇ってくれるだろうけど、給料もボーナスもないし、退職金はないし、新規客を開拓しようにも、わが山興証券のような信用度はないからね」
「分かっております」
「ということは、わが社をやめて行く気かね?」
「はい」
植山は、あきれたという表情で凜子を見つめた。制服をきて、地味な化粧しかしない彼女は、スタイルもよく、整った顔立ちながら、あまり色気を感じさせなかった。K大を卒業して、この春で三年目を迎える彼女は、二十五歳になるはずだったが、営業マン達との浮いた噂もなく、趣味は経済学と相場の研究らしいという噂で、変り者あつかいされていた。
営業マン達と相場について議論することもあったが、同年齢の男たちより、数年上の営業主任クラスとなじむ様子が見られた。彼らに誘われると、居酒屋へでかけることもあって、同年配の営業マン達の陰口がささやかれていた。
三月の初めに、風丘営業主任の本社調査部への転勤がきまり、月末に凜子の退職が発表された。行く先は、兜町の中小証券の一つである第五証券であった。第五証券は山興証券の子会社で、歴代、山興から社長を出していたし、役員のうち何人かは山興から出しているため、山興一色といってよい会社であった。社長の任期は二年ときめられていて、山興の常務クラスが送りこまれ、役員は部長クラスで、山興時代にくらべて給料は約半分であった。そんな環境の中へ、凜子は歩合外務員として入社した。保証金は二十五万円であった。
第五証券は、社員約百二十人と歩合外務員約三十人の、こじんまりとした中堅会社で、外務員は、八十歳くらいにみえる老人を筆頭に、六十歳代の女性が一人で、あとは中高年の男性ばかりであった。同じフロアに社員営業マンが二十人近くいて、二十代から三十代の若手の集団だった。凜子はカウンターの横の、入口にちかい席をあたえられたが、黒板とその下に陣取る株式部からは、もっとも遠い席であった。初日は友人からの電話が数件あったほかは、業界新聞をよんだり黒板をながめたり、で静かにすごした。しかし、会社中の好奇の目は、一日中つづいた。
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