9.買い占め

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「恐ろしいか・・・、私が孫請けのペイント会社の社長にだまされている、と言うんだね」 「はっきり言って、その危険性はあります。その社長さんとは、最近お付き合いが始まったばかりでしたね?」 「うん、日は浅いのだが、肝胆相照らす仲でね」 「わかりました。申し訳ありませんが、ファンドを預かる身としては、冒険はできませんので、明日値段のいかんに拘わらず、売らせていただきます」 「仕方がないな。持ち株を売るのはいいが、空売りまではしない方がいいと思うよ。サンライズ汽船が本気で買占めをやる気なら、難しい話じゃないからね」 猪熊に対して、ずけずけと物を言いすぎたのではなかったか、と胸がいたむ思いを反芻して、家路をいそぐ足取りが重かった。 ファンドの損失は、約三千万円だったが、割引債券を売却して損失を埋め合わせた。関東船舶の株価は、その後一週間で二百円を割り込み、半年後に倒産した。そして、二年後にサンライズ汽船も倒産した。 「やあ、やられたよ。凜子ちゃんの予想通りだったよ」 猪熊は三か月前に研究所をたたみ、川丸証券で、コミッションセールスとして働き始めていた。風丘と凜子が開いた「激励する会」で猪熊は明るさを装って、大声を上げてビールをがぶ飲みした。風丘がつとめて明るい声を装って言った。 「おれの世田谷支店当時のお客さんを、何人か紹介するよ。おれが調査部に移ってからも、縁が切れなくて、いまだにおつき合いがつづいている人たちだ。派手な取引はしないが、相当な資産家達だ。明日は日曜日で、旦那が家にいる可能性が高いから、一緒に回ろうじゃないか」 「いやあ、すまんな。せっかくの日曜日だっていうのに」 凜子もつづけた。 「私は、新規にファンドに入会を希望する方々をお断りしてきましたが、電話と住所は控えてありますので、猪熊さんをご紹介して、会社をおたずねするように説得してみます。数十人いますから、何人かは行ってくれると思います」 「二人ともありがとう。これ以上のご馳走はないな」 猪熊は涙をポロポロこぼしながら、風丘と凜子の手をつよく握りしめた。いつもおしゃれで、肩で風をきっていた長身の猪熊次郎太が小さくみえた。
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