1.女相場師

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山興証券という一流企業をとび出して、相場の世界にとび込んだ若い女性、というだけで話題性は充分であった。誰の目もなぜ、どうして、何のために、どれだけ出来るの、という疑問に満ちたものばかりであった。一流大学をでて、結婚適齢期をむかえた、十人並み以上の器量をそなえた女性に対しては、当然といえた。地下の食堂のおじさん、おばさんから、四階の電話交換室まで、一通り挨拶をし終えて、席にもどると、何人かの外務員が話しかけてきた。外務員になった理由を、露骨に問いただす男もいたが、概して皆やさしい態度で、凜子もあかるく応対した。三時の大引けまでさしたるニュースもなく、相場は平穏におわった。 凜子は帰り支度をしはじめた。生まれそだった立川市にもどって、自宅から少しはなれた商店街から新規開拓をはじめる積もりであった。ねらいの中心は、自分の金が意のままになる商店主であった。商店主たちは、株好きな人はすでにどこかの証券会社で取引をやっているし、相場で懲りた連中は鼻もひっかけてくれなかった。それでも、第五証券第二営業部と印刷された、なにも肩書のない凜子の名刺と、彼女の顔を見くらべて、話し相手になってくれる商店主もたまにはいた。 「どんな株を勧めているの?」と聞いてくれる相手はめったにいなかったが、四十件もまわると二、三件はあった。時計をみると八時をまわっていた。急に空腹感をおぼえて、切りあげる決心をして自宅に電話をかけると、母の元子が食事をせずに待っていてくれた。凜子は母一人、娘一人の家庭に育った。父は彼女が子供のころに病死していた。貧しいながら母は生け花の師匠をして、彼女を大学までだしてくれた。男子と肩をならべての営業という仕事を心配する母を、コミッションセールスにまで説得するには、時間がかかった。 凜子の毎日は、午後三時までは相場の勉強をし、夕方から夜八時までは客先まわりを、週五日間つづけることであった。土曜日の午後は母の生け花教室を手伝い、日曜日は大学時代インカレにまで出場した、テニスの練習に郊外のテニスクラブに通った。秋風の吹きはじめるころ、凜子は入社四年目のふつうの営業マンが、手にするであろう給与を得られるようになっていた。
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