11.兜町よ、さらば

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老人は一気にしゃべると、お茶を一口のんで立ち上がって、飄々と帰っていった。 その後、大日本住宅は千二十円の高値までかけ上がった。逆日歩こそつけなかったが、カラ売り、カラ買いは約一千万株づつの大取組であった。新高値をつけたところで取り組みが崩れて、約八百万株対千二百万株と、買い長(なが)になった。凜子は、相場がひとまず終わったことを悟った。千二十円の高値から、九百五十円割れまではわずか二日間であった。九百四十円台と、九百三十円台で現物と信用取引分、合計四百万株を一気に売った。連日、数千万株の出来高があったのが幸いして、あまり相場を崩すことなく売れて、ホッと一息ついた。   ファンドの元本は約二十億円にふえていた。その夜、風丘にねだって夕食につれて行ってもらった。今日手仕舞うために、連日息をつめるような日々をかさねていたので、大切にしていた風船がはじけ飛んでしまったような、虚脱感に襲われていた。 「今日までよくがんばったね。おそらく、大日本住宅の良いところを、根こそぎ取ったような気がするな」 「よくがんばれた、と自分でも思います」 「東洋火薬のような仕手株とちがって、未来が明るい会社だから、天井を打ったと思っても、うっかりカラ売りはしない方がいいだろうな」 「ええ、自重します。復配、増資、同業他社を買収、合併や、金融機関や商社と組んだ、大プロジェクトなどをやる可能性を考えると、とてもカラ売りをする気にはなれません。あの若社長の目は、はるか彼方のユートピアを見ているようでした」 「行ってきてよかったね。日本の歴史は数々の英雄、天才を生んできた。現代にもそういう人達は、生まれ変わってきているのだろう。考えてみれば、日本人という民族は、すごい民族なんだね」 「歴史を勉強すればするほど、その思いが強くなります」 「ところで、君には知らせなかったんだが、家内が亡くなったんだ」 「えっ、いつお亡くなりになったのですか?」 「二か月前だ。だから、もう四十九日も済ませた。会社の上司にだけは知らせたが、故人の遺志で葬儀はしなかったし、太平洋に散骨したので墓もないんだ」 「そうでしたか・・・、存じませんで・・・、今度の土曜か日曜に、御線香をあげさせていただきに、お伺いさせていただきます」
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