11.兜町よ、さらば

5/6

2人が本棚に入れています
本棚に追加
/56ページ
「天国なんて、本当にあるんでしょうかね?」 「私は、あると信じています」 「神様もいるんですか?」 「きっと、いると思います。学校では教えてくれませんが、この大宇宙をつくった創造主がいなければならない、と私は信じています」 「まあ、そういうものですか・・・、この娘は、いつから宗教に凝ったんでしょうかね?」 「いえ、凜子さんは、どの宗教とも無関係ですし、私も同じです。神は心の中にいるものだと思います。しかし、凜子さんは天国へ行って、神を見たのかもしれません。きっと貴重な経験をされたのでしょう」 「頭を強く打っているので、気が変になったら、と思うと心配で・・・」 「言葉がはっきりしていましたから、頭の方は大丈夫でしょう。若いから、回復も早いと思いますよ」 「そうであってくれれば、と願っています。夫に早く先立たれて、何せ一人っ子ですから、この娘だけが頼りでして・・・」 二ケ月後、凜子は奇跡的に回復した。頭にも、体にも傷はどこにも残らず、元気に出社した。その夜、風岡が退院祝いを開いてくれた。蛎殻町のこじんまりした料理屋だった。久しぶりに飲むビールに頬をそめて、凛子は生きている実感を噛みしめていた。 「ねえ風丘さん、私、天国を覗いてきたんですよ」 「それはすごい事だよ」 「神様にお会いすることは出来なかったのですが、神様の愛情ははっきり感じました」 「きっと臨死体験だったのだね」 「夜中だったので、医師も看護師も、私が一度死んだことに気が付かなかったのでしょう。心配させるといけないので、母にもこのことは話しませんでした」 「臨死体験をすると、人生観が変るって言われているけど」 「ええ、そうなんです。私、その瞬間から株屋をやめて、なにか世の中の役に立つことをやりたい、と思うようになりました」 「それは良かった、これから何をやったらいいかを二人で考えよう」 二人はごく自然に手を取り合っていた。その凜子を待っていたのは、三丁目金左衛門の死であった。翌週、井川と名乗る弁護士が訪ねてきて、三丁目氏の遺書をみせた。ガンを永らく患っていたので、弁護士に預けてあったのだそうである。それには、自分は身寄りがないので、ファンドの基金はすべて第五証券の島凜子に、自宅と預金は目黒区に寄付する旨が書かれていた。
/56ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加