2.三丁目金左衛門

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七階でエレベーターを降りると、目の前に猪熊経済研究所の看板を見つけた。そっと覗くと女子社員が二人と、男子の若手社員二人がカウンターに座っているのが見えた。小さな黒板があり、動きの激しい中小型株だけが載せられていた。その下で黒板書きらしき少年が罫線をかいていた。男子社員は二人とも店頭客の相手をしており、女子社員はなにやら書きものをしている様子だった。凜子は静かに近づいて女子社員の一人に声をかけた。女子社員は凜子の名前をきくと、すぐ所長室へ案内してくれた。 「やあ君か、しばらく。第五では稼ぎ頭だそうじゃないか」 「いえ、私なんかまだまだです。このたびは開店、おめでとうございます」 といって手土産をさしだした。猪熊は席をたって礼を言ってから、目の前の応接セットに彼女を座らせ、真向かいに自分も腰をおろした。 「オープン式には君も呼びたかったんだが、ごらんの通りのせまい事務所だもんだから、取引客だけでいっぱいで、三宅や風丘すら呼べなかったような有様で、失礼した」 「私なんか、員数に入れていただけないのは当然です。今日でもお伺いしていいかどうか、迷ったくらいです」 「いやあ、君は独立事業主だから、三宅や風丘より優先すべきだと思うよ、よく来てくれた。君には教わることが沢山あると思うんだ」 猪熊は、日ごろの傲岸な態度とは一変して、謙虚な姿勢で凜子をおどろかせた。 「凜子ちゃんのように、中小証券でコミッションセールスをやることも最初は考えたのだが、客の問い合わせや商いの説明に時間をとられて、静かに相場を考える時間がとれないのと、もう一つは買占めをやってみたかったから、思いきって事務所を持つことにしたんだ」 「買占めですか?」 「うん、今のところはまだ具体化してないんだが、日本中をアッと言わせるような大仕事を、やって見たいものだと思ってね」 「はあ、でも猪熊さんならできそうですね」 凜子はため息とともにうなずいた。 「チャンスがあったら、君にも儲けさせてあげるつもりだ。それまでに客をたくさん集めておくことだね」 「ありがとうございます」 凜子はうれしかったが、買い占めなどという法すれすれの行為は、彼女にとっては夢のような話としてしか感じられなかった。つぎの来客がきたのを潮に引きあげることにした。日本橋のデパートをぶらついて、五時半にいつもの喫茶店に行くと、間もなく風丘が笑顔で現れた。
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