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到底受け入れられそうにない事が起こっていた。
疑いようは無い。
胸が疼いた。時間がゆっくりと流れる感覚にも似た喪心が、恐怖すらも凍らせていた。
茫然自失。
「……父さんは、だれ?」
負の思考が錯綜する中、俺は父親を見上げた。
「俺の正体を知って、どうするというのだ? 小僧」
冷たい金属のような目で、父親は俺を見下ろした。
普段の父は、そんな目をしない。
「辰定様ッ!!」
父親の名を呼ぶ香由良の声がしたかと思うと、父親の胸目掛けて一本の矢が射ち込まれた。
父親はそれを難なく片手で掴み取ると、
「遅いな」
と、掴んだ矢を掌で回し、切っ先を香由良の方へと向けた。
「女よ、お前は運が悪かった。お前の生気を俺が気に入ってさえおれば、もうしばらく生きられたものを――」
父親は掌に乗せた矢の後尾に、『ふっ!』と息を吹きかけた。
その瞬間、矢は先ほど香由良の弓から放たれた時よりも早い速度で、香由良を襲った。
「ぐぁッ!?」
右肩を抉られた香由良は、仰け反って倒れ込んだ拍子に後頭部を打ち付け、気を失ってしまった。
香由良が倒されるのを、俺は愕然と見ている事しか出来なかった。
父親の中に居る存在の正体を直接聞かずとも、心の中では既に理解していた。
皆が言っていたのだ。
鬼が出たと。
父親の豹変は、鬼が父親に憑いたことを意味しているのだろう。
それを神殿内で止めようとした母親が、父親が持っていた刀で斬られてしまった。
もう二度と、しゃべることも、笑うことも無い、そこにあるだけの存在となってしまった。
「こやつの家系は代々、生気が優れておるようだな。まだ食い足りぬ。同じ血を引く者の生気を得るとしよう」
そう言い放つ父親は、片方の目から、一筋の涙を溢していた。
心を乗っ取られた父親の、真の思いが、鬼の枷を突破して、表情に表れたに違いない。
俺はその涙に縋る様に、父親に抱きついていた。
僅かに残っているのであろう父親の心に、助けを求めたのだ。
抱きついた俺を、父親は左手の刀で斬ることはなく、震える右手で弱々しく抱いた。
顔を埋めた父親の服からは、線香の強い匂いがした。
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