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最果ての夜
――――殺してあげようか?
顔は見えない。男の声だった。
馬乗りになり覆い被さる威圧感が妙に生々しくて、男が持っているのは絵筆だと言うのに、暗闇の中でその脅迫めいた科白に怯えた。
肌を這う絵筆の先に身を捩り、唇を噛み締め、希う様に手を伸ばす。
確かに怯えたのだけれど、何故か沸き上がる程の喜悦があった。
夢を見ていた。
酷く息苦しく、体中がギシギシと痛む。
腫れぼったい瞼を無理に押し上げて開くと、見た事のない男がこっちを見ている。
「気が付いた?」
誰だ、君は。
言葉にしたいが、次の瞬間――私は、誰だ? と脳裏を過る。
名前が思い出せない。
見上げている天井は見た事のない天井で、どうやら自分はベッドに寝かされている様だ。
若く体躯の良いその青年は大きな掌を額に宛がい「まだ、熱が高いな」とぼやく様に言う。
「き……き、みは……?」
無理に声を出そうとして、掠れた。
彼は至極息苦しそうに眉根を寄せた後、瞬転、泣き笑いの様な顔を見せる。
「こんな雪山に革靴で来る人、初めて見たよ」
彼はそう言って結城音生と名乗った。
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