1.過去にさよならを

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「ジェイ、帰ってたの?」  父も母もジェロームの頭文字を取ってジェイと呼んでいた。 「ママ!」  思わず母の細い体にしがみついた。 (泣かない。絶対に泣かないんだ、ママの前では) 心配させたくない、母はジェロームの笑顔が好きなのだから。 「手を見せて」  慌てて手を背中に引っ込めた。冷たい水で真っ赤になっている。 「ほら、見せて、ジェイ」  母の声は魔法の声だ。逆らうことなんか出来ない。鈴の音のように細く歌うように美しい声。父が大好きだった母の声。そっと前に手を差し出す。 「まあ、こんなに冷たくて……」  細い小さな手がジェロームの手を包み込む。 「水を使ったの? お湯になさい、外はこんなに雪が降っているのに」 「違うんだ、水の方が汚れが落ちるんだよ」 「ジェイ、汚れって温かいお湯の方が落ちるのよ。どこ? ママが洗ってあげる」  何も知らない母。虐待は肉体的なものとは限らない。小さく柔らかい心は傷つきやすい、純粋であればあるほど。祖父母のしていることも学校でのことも、ジェロームは一切母の耳に入れていない。  母にはいつも笑顔でいてほしかった。父が亡くなって長いこと、その綺麗な笑顔を見ることが出来なかったから。  父は母を泣かせ、笑顔を持って逝ってしまった。もう母に笑顔は戻らないかもしれない…… そんな恐怖をもう味わいたくない。だから何も心配して欲しくなかった。 「ママ、テスト100点2枚あるし、作文も良く書けてるって!」 「本当? ジェイはダッドに似たのね。この頃どんどん似てきて、ママ、とっても嬉しいの。ジェイを見てるだけで幸せよ」  悲しい言葉だった。だからいじめの対象になっているのに、そう言われるのを母の前で喜ばなくてはならない。 「そんなにダッドそっくり? ママがこんなに喜ぶんだからもっともっとそっくりになるよ!」  
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