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「どうかな? わたしの歌」
傍に行くなり身を乗り出して訊ねられた。その明るい瞳から顔を背けつつ「……いいんじゃないですか」と答えたものの、声は我ながら無愛想極まりないものだった。
だが彼女は特に気分を害した風もなく、寧ろ嬉しそうに「ありがと」と笑った。
「わたしね、演歌歌手になりたくて、音楽事務所の研修生やってるの」
「研修生?」
「うん。ソロのCDは出してもらえないけど、プロの先生に練習見てもらったりできるんだ」
「……普段は何を?」
「専門学校に通ってる。親との約束なんだ。あとはバイト。学校、練習、バイトで一日があっという間に終わっちゃうけど……」
夢があるから頑張れる、と語る、夕日に照らされた彼女の笑顔は、五月に吹く風のように清々しく、仄かな熱を帯びていた。
(……苦手なタイプかも)
通り過ぎなかったことを密かに後悔する俺の内心などは知る由もなく、彼女は無邪気に言う。
「ね、よかったらもう一曲聴いていってくれない?」
「……いえ、ちょっと急ぎますんで」
軽く頭を下げ踵を返す。
「わたしよくここで歌ってるから、よかったらまた来てね」
追ってきた声に適当に手を振りながら、しばらくここは通らないようにしようと決めた。
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