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「……」
「というのも、ショック症状が起きるほどの出血がなくて…って安さん聞いてます?」
「…ん? ああ」
安村刑事は、明らかに上の空という返事をした。
その様子を見た佐伯刑事は大きなため息をつく。
「しっかりしてくださいよ…どうしたんですか安さん。現場じゃいきなり飛び出してっちゃうし、かと思ったらなんか元気ない感じで戻ってくるし…」
「…確認したいんだがな」
「野次馬から逃げた人でしょ? そんな人いませんでしたよ…何回確認するんですか」
佐伯刑事はうんざりした口調で言う。
何か言いかける安村刑事に向かって、さらに続けた。
「見てないのは僕だけじゃない、っていうのも言いましたよね? 安さんがあんまりやかましく訊くから、野次馬担当だった人たちもイライラしてきてるんですよ…これ以上はホントにマズいですって」
「……わかった、もういい」
安村刑事はそう言って椅子から立ち上がる。
佐伯刑事が止めるのも構わず、部屋から出て行ってしまった。
彼は廊下を歩きながら、強く歯噛みする。
(俺がモーロクしてるだけってんなら別にいい。だが俺以外の誰も、あの女に気づいてすらいねぇってのが…気に入らねぇ。あまりに『キレイすぎ』んだよ)
そのしかめっ面には、自分が見たものを信じてゆるがぬ強さがあった。
彼はある捜査員を訪ね、何事かを依頼するのだった。
―――この社会には、虐げられる人々がいる。
その人々の間で、語られる噂がある。
普通の人なら、気にも留めない小さな噂。
だが、どん底に落とされた人々にとって、それは最後の希望だった。
「許せない…! 私だけって言ったのに! 結婚の約束だってしたのに…!」
雨の中、設楽 裕子は路地裏で泣き続けていた。
あまりの悔しさに立っていられないのか、濡れた地面の上に座り込んでいる。
その背後に、ロングコートを着た男が音もなく現れた。
背は高く、ウェーブがかった長い髪に、丸いレンズのサングラスという出で立ちだった。
気配に気づいた裕子は素早く振り返る。
男の顔を見た彼女は、期待に目を輝かせた。
「あなたは…!」
「ようこそお客さま、私めが『コウサイ』にございます」
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