第1章

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「退院するまで、まだまだ日数があると思うから、その間に自分の過去の作品に一通り目を通して勉強してもらうからね。あとサインの練習とかも」  成田さんは鬼教官と化すのでした。彼も必死なのです。嶋タケルという商品を失うことは廃業を意味するのですから当然です。  チョイ役として俳優デビューした作品から、つい最近の主演作品まで、猛勉強させられました。こんなの金払って観てる人がいるのだろうかと、不思議になるくらいの低予算丸出しの駄作ばかりで、ウンザリさせられました。嶋タケルという俳優に求められているのは、演技力ではなくルックスだけなのでしょう。どれもこれも同じ髪型と同じ演技で、必要以上に男っぽく振る舞っている姿が滑稽でした。  嶋タケルと香川リオが出会うキッカケになった視聴率30%の連続ドラマは、成田さんの目を盗んで早送りで観ました。普段ならスキップするはずのCMの方が興味深かったくらいです。10年間の失った記憶を埋める作業において、CMは大事だったのです。 「リオちゃんには話しておかないと、駄目じゃないですか? いずれバレてしまうと思いますよ」私は提案しました。 「言葉というものは同じ意味でも、タイミング次第でまるで別のものになってしまう。奥さんに打ち明けるのは慎重にしないといけないよ」成田さんは遠回しに否定していました。 「まあそうですけど・・・・・・」と言ってから、私は退院の日が近づいてくるのが怖くなっていました。いきなり撮影の現場に戻ることよりも、妻であるリオちゃんとの夫婦生活が怖かったのです。特に性生活です。女とセックスなんてできそうにありません。十年前の私は、一体何を考えて女との結婚に踏み切ったのでしょうか?
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