第1章

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「やっぱり君はスターだよ。こんなところで終わるような人間ではないんだ」  男はそう言うと、ベッドの横で唐突に泣き出すのでした。ここは精神病院だったのかもしれません。どうしていいのか分からず横目で男を静観していました。この気の触れた男が襲いかかってきたら、私は何も抵抗できずに集中治療室に運び込まれることでしょう。ただ黙ってやり過ごすしか選択肢がない状態です。 「奥さんに連絡しようか? 安心させてあげなよ」  男はポケットから携帯を取り出すと「奥さん」に電話を掛けていました。  過去に奥という名字のクラスメイトは存在していましたが、特別仲が良かったという記憶はありません。クラスが変わってからは疎遠になっていました。もっと言うなら苦手な奴のカテゴリーに押し込めていたくらいです。  男は奥くんに「意識が戻ったよ・・・・・・今電話代わるからね」と震える声で告げると、携帯を私の耳に押しあてました。 〈本当に良かった。みんな心配してたのよ〉  混乱に拍車が掛かってきました。奥くんの声は明らかに女性になっていたのです。性転換手術を受けたのだろうか? とりあえず短くあやふやな返事をするのが精一杯でした。 〈そっちに行くから・・・・・・少し時間が掛かるかもしれないけど〉  来てもらっても困ります。性転換した奥くんと今さらどんな顔で会い、何を話せばいいのでしょうか。よう、久しぶりだね、アソコの調子はどう? こんなフランクな会話でブランクが埋まるとは到底思えません。  男は電話を切ると、スーツのポケットにストンと携帯を落とし「もうスタントマン無しで撮影に挑もうなんて思ったら駄目だからね」と神妙な面持ちで話し掛けてくるのでした。  いよいよ私の思考と我慢は限界に達しつつありました。これは茶番です。荒唐無稽な見えすいた芝居です。 「さっきからあなたは誰かと間違っていませんか?」蚊の鳴くような声で訊ねると、男は静止画のように固まり、一呼吸置いてから「え?」と聞き返してくるのでした。 「僕の名前は渡辺です。嶋ではありません」 「面白いね。そんなジョークが言えるなら安心だ」さっきまで泣いていた男は、狂ったように笑いだすのでした。
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