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「顔を溶かします」
この言葉が私の口から出たのは、山本の下半身が気泡を出しながら寸胴の中に沈められた時でした。成田さんは眉の動きだけで聞き直してきました。
「顔を溶かせば良いんですよね? いいですよ、それで気が済むのなら」今度は目を見ながら伝えました。
「・・・・・・そんなに、この業界が嫌なのか?」
「嫌いなのは業界じゃなくて、あなたです」
「嫌われたもんだな・・・・・・そこまで嫌なことしたつもりないんだけどな」
私は苛性ソーダ水溶液の入ったポリ缶を傾けて、手のひらの上に溜めました。
「馬鹿野郎!」
成田さんは私の手首を強引に掴むと、水道水をかけ、指の一本一本を丹念に洗浄していました。泥遊びをした子供の指を洗う父親みたいな雰囲気です。目には薄っすらと光るものがあるのでした。
「・・・・・・分かった。お前の覚悟は分かったよ。もう溶かさなくてもいいから、別の顔に整形しろ。それで手打ちだ」
いつもの悪い癖が出てきました。顔を変えて生活するという狂った未来に、私の胸は踊っていたのです。渡辺岳が整形して嶋タケルになった時も、こんな感情に突き動かされていたのかもしれません。顔と名前を変えて、一度の人生を二度楽しむのは、医学の発達した現代人に許された最大の贅沢といえるでしょう。
寸胴の中の液体は、二人がかりで下水に流しました。下水溝が細く、何度か詰まってしまったため、割り箸で突いて、なんとか流しきることに成功しました。
「顔を変えた後は、何をするんだ?」成田さんは仕事を終えてホッとした様子でした。
「なんだっていいじゃないですか。報告義務なんて無いですよ」私は自分が手で触れた箇所を雑巾で拭き、指紋を消しながら言いました。
「冷たい奴だな・・・・・・お前が行方不明になったら、マスコミは大騒ぎになるんだからな。きっと俺の事務所にも大勢の記者が押し寄せる。顔を変えたいのは、むしろ俺の方だ」
「そんなことより、樋口の電話番号をそろそろ教えてくれませんか?」
「分かったよ・・・・・・そんなに会いたいのか」
「もちろんです。恋人ですから。今すぐにでも会いたいですよ」
「・・・・・・でも奥さんはどうするんだ? 黙って姿を消すつもりなのか?」
「駄目ですか?」
「そりゃ駄目だろ」
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