第3章

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 家に戻ると、リオちゃんはソファで横になってテレビを観ていました。テーブルの上には冷めた夕食が並んでいました。 「遅かったね」何も知らないリオちゃんは笑顔で私を迎えるのでした。  どんなに探しても、別れを打ち明けるタイミングなんて見つかりそうもありませんでした。せめてお腹の子供が自分の子供でないのなら、それを理由に切り出すことも可能なのですが、DNA検査なんてもっと先の話です。  いつも通り向かい合って食事をすることになりましたが、食欲なんて湧きそうにありません。よりによってビーフシチューなのです。スプーンでシチューをすくい上げると、口の中に流し込みました。私の食道は山本を流した排水溝よりも狭くなっていました。 「食欲ないの?」リオちゃんは心配そうに見つめてきました。 「もしも僕が同性愛者だったら、どうする?」スプーンで肉の塊を突きながら言いました。 「・・・・・・そんなの、もう知ってるけど」リオちゃんは何を今さらという、相手を少し小馬鹿にしたような口調に切り替わっていました。 「へ? 僕から話してたの?」私は拍子抜けしていました。 「私も男には全く興味ないし、お互いに約束して結婚したんだよ。セックスはしないということで」 「それじゃあ、お腹の子供は?」 「本当に何もかも忘れているんだね・・・・・・人工授精でしょ」 「ははは」  自己防衛本能なのでしょうか? 驚きの感情の先に待っているのは笑いでした。何の前触れもなく突然隕石が地球に向かってきても、私はきっと笑っているのだと思います。リオちゃんも釣られて吹き出すのでした。  リオちゃんが床についたのを確認してから、私は電気を点けていない自室に入るとベッドで横になり、スマホの画面の光を顔に浴びせていました。  人差し指をあともう少し前に動かすだけで、樋口に電話を掛けることができる臨戦態勢に入っていました。  夕食の記憶が邪魔でした。私が知る中で一番和やかなひと時を過ごしてしまったのです。子供の頃に味わうことのできなかった理想的な家庭というものが、手を伸ばせば届きそうな場所にある気がしていました。壊す理由が何も見つからないのです。明日になったらすぐに成田さんに謝罪して、やっぱり今の生活を続けたいです、と打ち明けたほうが良いような気さえしていました。そして結局、樋口に電話することができないまま、眠ってしまうのでした。
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