第1章

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「一緒にいた樋口は無事だったんですか?」  ここにきてようやく樋口の安否を訊ねました。つまり私は恋人よりも先に、受験の心配をしていたのです。同じ大学に通い、キャンパスライフを満喫しようと誓いあったはずなのに、樋口の優先順位を一つ下げていたのです。それはもはや自分の子供に臓器提供できない親と一緒です。口先だけで愛を確かめ合っていた、そう揶揄されても反論できません。 「樋口?・・・・・・頭を強く打ったから、記憶が混乱してるのかな。今度精密検査を受けたほうがいいかもよ。ああ、そうそう、先週分のコミック雑誌を買っておいたぞ。目覚めた時に、話が飛ばないようにと思ってね。一週間分で済んでよかったよ」  男は話をそらして、カバンの中から数冊の雑誌を取り出し、乱雑に枕元に置くのでした。それらは私が愛読しているもので間違いないのですが、表紙のキャラクターに見覚えがありませんでした。新連載が始まったのかなと思いつつ眺めていると、他の連載漫画のタイトルも知らないものばかりでした。  背表紙を見た瞬間、私は心臓が止まりそうなくらいに驚いてしまうのでした。私の知っている西暦より10年も多い数字が、下方に印刷されていたのです。 「もしかして僕は10年間眠っていたのですか? そんなわけないですよね」 「だから一週間だっていってるでしょ、本当に大丈夫か?」  男はそう言うと目をキョロキョロさせ始めました。まるで眼球の裏にサジが付いていて、脳をかき回しているみたいでした。 「まさか、記憶喪失じゃないよね?・・・・・・俺の名前分かるか?」  私は男の顔をただ見つめることしかできませんでした。 「おいおい、マジかよ・・・・・・俺の名前は成田だよ。成田浩一。事務所の社長だ。ずっと君のマネージャーをしてきただろ。覚えてないのか?」  この場合、沈黙は否定を意味します。黙りこくっている私の周囲を成田さんは「うそだろ・・・・・・うそだろ・・・・・・」と洩らしながら右往左往し、惨めな姿をさらけ出すのでした。頭を掻き、両手で顔をこすり、目尻をポリポリと、考えうる一通りの困窮を動作で表現しているみたいでした。それはしばらく続きました。
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