あの夏

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火葬後も母のお骨はここにかえってこない。どんなに大きくて立派な仏壇があってもそこに母の写真は飾らない。何も残さない。 母が亡くなったことを知れば誰かしらがこの家に来るかもしれない。だけど、手を合わせる場所が、ものが、この家にはない。そんな状態を人はどう思うだろう。 だけど、それほどまでに母はこの家を憎んでいた。違う。この家には自分の居場所がないと諦めていたんだ。 母の兄妹たちには知らせた方がいいと思った。例えお通夜もお葬式もしないとしても。母だってそうしてほしいだろうと思った。 そして、母の棺に入れるものを探していた時にそれを見つけた。ちぃ兄ちゃんはまだ仕事が終わっていなかったので、先に父とあんちゃんにそれを見せることにした。母の日記だ。 よれよれの、読むのもやっとの字で綴られた日記。母は目の手術もしていて、その時も手遅れだと医師に言われた。母の目が実際、どこまで見えていたのかは母にしかわからない。 日記には、おじさんとおばさんの名前が書かれてあった。自分に何かあったら連絡してほしいと読める。それと、わたしはあんちゃんに封筒を渡した。そこにはあんちゃんの娘の名前が書いてあった。 「何これ?」 「たぶん、成人式のお祝いだと思う。お母さん、楽しみにしとったで」 あんちゃんは封筒の中身を確かめた。中には福沢諭吉がぎっしりと詰まっていた。 「こんなに?」 何度目かの検査の時、ベットの上でうわ言みたいに言ったことを覚えている。あんちゃんの娘は母にとって初めての孫で、来年の一月は成人式だった。その姿を見るまでは長生きしんとね、と母は言った。 わたしは、ちぃ兄ちゃんのところの3人目が小学生になるまで長生きしてよと言った。それがあと何年後なのかも知らないくせに。
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