あの夏

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「まじか……」 あんちゃんがうなだれてつぶやく。そして、母の日記を手に取った。そこにはあんちゃんが家を出てから、母がどんな風にこの家で過ごしていたかが書かれてあった。わたしは父に、母の兄妹を火葬場に呼んでほしいとお願いした。すると父はあんちゃんが呼んでいる日記を横から取り上げて、投げ捨てるようにしながら声を荒げた。 「何だ、こんなもん!馬鹿にしやがって、この野郎!呼ばんでもいい!恨むなら俺を恨め!化けて出てくるなら俺んところに出てくればいい!」 その瞬間の自分を表す言葉は今も見つからない。ただ、初めて父を殴ってやりたい、目の前のこの重いテーブルをひっくり返してやりたい衝動が走った。実の父に向かってものすごく酷い言葉を烈火のごとく浴びせて、これ以上ないくらいに傷つけて父の考え方を、価値観を力ずくでねじ伏せてやりたかった。 「俺の兄貴だぞ。俺ん所の兄妹も呼ばんのに、なんで向こうの兄妹だけ呼ばんといかんだ。そんなことして俺の立場ってもんを考えろよ!」 こういうところだ。こういうところが母を長年、苦しめてきた。この家に縛りつけてきた。改めて思い知らされたことに、怒りと同時に無情に悲しかった。 ここは父の家で、父が先に死んでしまえば母はこの家を追い出されるとさえ思っていた。だから母は父より先に死にたかったんだ。そんなことさせやしないのに。 兄2人が出ていったこの家はわたしが継ぐことになるだろう。だから母は出ていかなくていい。だけど、母はそんなわたしを可哀想だと言った。この家に縛られるわたしを不憫だと嘆いた。 仕事を休んで病院に付きそうわたしに母は何度も何度も謝った。兄にはもう自分の家族がいる。だけど、わたしの家族はお父さんとお母さんだけだよ。だから、謝らなくてもいいんだよ。そう何度も何度も言った。わたしは大丈夫だよ。お母さんみたいにはならないよ。何を言われたって平気だよ。 だけど結局、家を出て母を孤独にしてしまったのもわたしだ。母がわたしを自由にしてくれたのに。わたしは母を独りにしてしまった。
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