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財布役のヴァニオンにしてみれば想定外の出費だったが、まだこの時点では幸いにして軍資金には余裕があったので、特等船室の続き部屋を占拠しての船旅にとくに支障があるわけでもなかった。
……唯一彼らが犯したミスというべきは、ふところ具合など考えたいはずもない王子が、この魔族のお気楽御曹司にまるっと財布を預けていたということだ。
昨日、この寄港地について繁華街に繰り出したヴァニオンは、さっそくミスを犯した。その財布を掏られたのである。賑やかな人ごみのなかで、一度少年とぶつかったのを思い出す。おそらくあの時だろう。
財布の中には、冥界から持ち出してきた貴金属類をすべて紙幣に換金した、いわば旅の軍資金のほぼ全額が入っていたのだ。
さしものヴァニオンも慌ててナシェルの所に戻り、悲嘆的状況を訴えた。
「――財布をスられただと? このド間抜けが……」
舳先に近い、甲板の傘つきテーブルで優雅に夕暮れ時のお茶を楽しんでいた黒髪ロングの美人――ナシェル王子は、無論その優美な眉を吊り上げたが、さすがにその時点で鉄拳をくらわすことはなかった。ヴァニオンは不注意だったとはいえ掏りの被害者なのであるし、すでに東の大陸までのVIP船室の代金は納めてあるので、この船に乗ること自体に支障はないのだ。
だが、一文無しでは、あとからまとめて支払うことになる船内での遊興費やら飲食代――ナシェルの今楽しんでいるティーセットもだ――が払えないと判るや、殿下は
「この港を出る明日の夕刻までに、金を何とかしてこい」
と、実にアバウトかつ横暴な命令を下した。
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