そして新大陸へ! の巻

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 穏やかさを取り戻した大海原を、客船アヴェイロニア号は東へ東へと進む。  後方へ陽が沈んでゆく。そして船首の赴く先からはまた静夜が訪れようとしていた。  昼間は船室に籠り極力日差しを避けるナシェルも、夕べには甲板に出て海風を浴びるのが日課となっている。  その日も夕涼みに出、ナシェルは鼻歌交じりに船首甲板のほうへ歩いていった。船体に打ち寄せる波は穏やかで、行く手に広がる夜空は晴れ渡っている。船内にも何らのトラブルもなく、乗客は皆それぞれに航海を楽しんでいるようだ。今朝までのあの喧騒(さわぎ)が嘘かと思えるほど。  船首のいちばん尖った部分は補強のために頑丈な材木を何重にも重ねて作られていて、転落事故を防ぐためか少々(へり)が高い。手摺が胸あたりまで来る。ナシェルは誰も見ていないのをいいことに船首部分の出っ張りにひらりと登って船頭尖端部へ立ち、船の赴く先を見つめた。  時刻はちょうど日没を過ぎたころ。後方に少し夕焼けが残るのみで、前方視界はもうすっかり暗くなっている。太陽神の息子らもこの時間となれば、よもや反撃しては来ないだろう……。ナシェルは完全に抑え込んでいた神司を少しばかり開放した。ナシェルが存在を顕わにしたのでたちまち四方より闇の精霊と死の精霊たちがやってきて挨拶し、手に口づけしたがる。  ナシェルは薄衣の袂から白い手の甲を伸ばした。地上の眷属たちは許しを得て、冥闇の御子の指先に愛を込めて接吻(くちづけ)し、また飛び去ってゆく。ナシェルは彼らを懐に入れたり周囲に(はべ)らせたりはしないでおく。死の精たちは本来、人里を好むのだ。自分の手持ち駒に入れておくよりも、人里に遣わせておいた方が良い働きをしてくれるだろう。  気配を感じて振り向くと、ちょうど冥王が船橋(ブリッジ)から出てきた所だった。王もすぐにこちらに気づき優雅な歩調で向かってくる。 「どうしてそんな際どい所に立っているのだね、ナシェルや」 「ここに立つと前方の視界を遮るものがなく、夜の海を独り占めできるのです」  冥王は、精霊に囲まれ蒼白い神司を揺らめかせているナシェルをほれぼれと見上げた。 「余もそこへ登っていいかな?」 「むろんです、どうぞ」  ナシェルが半歩よけたところへ王もひらりと音もなく昇ってきて、双りは船首の先端に立った。帆を支える帆索が近くにあったので片手で掴まり、それぞれの背中に手を回して軽く口づけを交わす。  同じように夜の海原を眺めながら王が言った。 「船長と話をしてきた」
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