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Ⅱ 1991年 英明
養護施設や児童センターでボランティア活動をすることが、千香子の所属するゼミでは恒例になっていた。
通っている女子大のなかでは特に勉強熱心な学生が多い学科であったため
長期の休みには自然と千香子もアルバイトよりはボランティア活動に励むようになっていた。
点字翻訳をしたり要約筆記をしたり、
近隣の大学のボランティアサークルと一緒に施設を訪問して、子ども向けの人形劇をすることもあった。
そんな中で知り合ったのが英明だった。
英明はメンバーの中では異色の存在だった。
声色を使ってセリフの練習をしたり、フォークダンスの振り付けを賑やかに教えあったりするなかで
みんなから離れて腕組みをし、冷めた目をして眺めていることもよくあった。
しかし劇の小道具を作ったり、背景画を描かせると彼は才能を発揮し、
器用なその手によって次々と人形は生まれ、
白い模造紙やベニヤは鮮やかに色づき、生き生きとした命を与えられるのだった。
そんな英明がこの活動には欠かせない存在であることは誰もが認めていたので
彼の態度を特に責めたりする者はいなかった。
ある夏の日、駅前にある市民センターの一室を借りて劇の練習をしている時に
初めて千香子は英明と口をきいた。
「君はやっぱり子どもが好きか?」
部屋の隅で人形のパーツの綻びを縫っている千香子の側に来て英明は言った。
そして床に広げた材料や接着剤のチューブを手に取りながらだれに言うともなく続けた。
「僕はひとりでこういうのを作ってる時が一番楽しいんだ。
こんな活動してるからって別に子どもが好きとか、そんなんじゃない」
千香子は驚いた。
彼の言葉にも、彼が自分に言葉を向けていることにも。
たしかに子どもにかかわる勉強をしているし、
周りのみんなもそうなので、改めて考えたことなどなかった。
“好きであたりまえ”の世界で、子どもが好きではないなどと聞いたことも初めてだった。
それを戸惑いつつ口にすると
「はっきりいって僕は嫌いなんだ」
ひとことそう言って彼は顔を上げ、南に面した窓のむこうを走っていく上りの快速電車を見た。
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