山小屋の君

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山小屋の君

 君に会ったのはあの山小屋だった。  スキーの途中てコースアウトし、遭難して雪山を彷徨っていた俺の目に、まばゆく映った小さな明り。  必死にそこまで辿り着き、小屋の扉を叩いた俺を迎え入れてくれたのが君だった。  暖炉のぬくもり。体に沁み込む温かな食事。柔らかなベッド。  ほんの数時間前まで、雪に閉ざされた暗い山中を彷徨っていた俺にとって、山小屋での待遇は総てが至福だった。  だから俺は当たり前のように君に魅了された。  もちろん救われたことだけが理由じゃない。本当にあの時、凍え死にそうな俺を迎え入れてくれた君が天使に見えたんだよ。  その気持ちは、君の正体を知った今でも変わらない。  翌朝俺は、遭難した俺を探し回る人達と出会い、その人達が口々に『山の魔物』の話をしているのを聞いたんだ。  この山には人食いの魔物が棲みついていて、遭難した人間を幻の山小屋に引き入れて食い殺す。だから俺もその魔物に襲われたんじゃないかって。  その意見はまったくもって見当外れだ。  俺は、遭難して彷徨ってる時にどこぞの裂け目に嵌って身動きが取れなくなり、そのまま凍死したんだから。断じて魔物に襲われた訳じゃない。  でもうっかりものの俺は、自分が死んだことにも気づかず、魂だけで真夜中の雪山を彷徨った。そんな俺を彼女は迎え入れてくれたんだよ。  魂はまだこうして存在しているから、彼女が食べるのは肉体の方らしい。でもその肝心の食用部分がない俺にすら、彼女は温かな幻を見せてくれたんだ。  お陰で俺は、捜索隊に完全無視されて自分が死んだと自覚するまで、救われた気持ちでいられたんだから、彼女に恨みなんてかけらもない。むしろとことん感謝している。だからせめてもの恩返しに、俺は俺自身の死体を探そうと思ってるんだ。  雪に埋もれてるから死体は腐らないだろう。だから見つけて彼女にお礼として食べてもらう。  ああ、君が魔物でも構わない。いやむしろ、こういう形で恩が返せるから魔物であってくれてよかったくらいだ。  俺、頑張って自分の亡骸を探すから。その場所を君に伝えに行くから。その時はまた、どうか山小屋の戸を開けてほしい。 山小屋の君…完
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