13人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ
19世紀末、近代化の波が押し寄せる明治の日本において、ある一つの画期的な発想の転換がなされた……。
人々は〝こたつ〟を背負って暮らすようになったのだ。
即ち、カメやスッポンが甲羅を背負って生きているように、あるいはカタツムリやヤドカリがいつも殻の家を身に着けているかの如く、人類も冬の間、常にこたつとともに生活するようになったのである。
いわゆる〝背負い炬燵〟の登場である。
それまでの居間に置かれ、足を入れて温めるだけ、もう少しがんばってもそこでうたた寝をするのが関の山だった〝据え置き型〟と違い、この「人馬一体」ならぬ「人卓一体」の〝背負い型〟は、いついかなる時であってもこたつのぬくぬくの中で活動することができ、極寒の冬を乗り切るための道具として飛躍的な進化をこたつにもたらした。
それは、まさに〝革命〟と呼べる出来事であったといえよう(※初めに行った人物については諸説あり、また資料に乏しいため、本書での記載は避ける)。
だが、この背負い型は人類に多大な恩恵をもたらした一方、まだ技術的に未発達だったがために多くの問題も生じた。
その性格上、原型となったのは囲炉裏から発展した〝掘り炬燵〟ではなく、移動可能な火鉢式の〝置き炬燵〟であったが、当時の熱源が木炭や炭団(※質の悪い木炭の粉や木端の炭を粘着剤で固めたもの)であったため、机の裏面に設置された火鉢により、背中を火傷する者や、もっと悪いと一酸化炭素中毒になる者も後を絶たなかった。
また、鉄道網の普及により、汽車での移動や通勤をする者も増えてきたが、その際に背負ったこたつは非常に邪魔であり、特に都会の通勤ラッシュ時などでは乗車できない勤め人が続出し、大きな社会問題と化した。
だが、それでも一度知った常世の〝ぬくぬく〟を人々は手放そうとせず、様々な工夫を凝らしてこの〝背負い炬燵〟を続けた。
通勤用によりコンパクトでスマートなデザインの背負い炬燵が造られもしたが、鉄道を使う勤め人達相手に乗車駅で私物のこたつを預かり、下りる駅では代わりのこたつを賃貸しするというレンタルこたつ業者も現れ、都市部では大いに隆盛した。
最初のコメントを投稿しよう!