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 ランスは目を閉じた。こころを落ち着けて、時をかぞえる。このあとの手順を思いだす。  まず、腕を紐でしばり、傷口を布でおさえて止血する。こぼさぬようにボウルのなかみをグラスへ移して、盆にのせる。そうして、三階にのぼる。ノックはゆっくりと二度だ。  これくらいでよいだろう。  まぶたをあげて息を吐いた。すでに軽いめまいがしていた。空腹のせいだ。  手早く処置をして、服に血が飛んでいないことを点検し、血液をグラスへ空ける。盆を持ちあげ、バランスをとりながら静かに廊下を歩いていく。  つきあたりの窓の外、空は夜色だ。影絵のもみの林に重なるように、へっぴり腰で歩く背の高い男が映りこんでいる。  主人の寝室の前でふたたび姿勢と服装を正して、ノックとともに慇懃に呼びかける。  寝台の軋む音がした。  待っても待っても、答えがない。再度ドアを叩いた。やはり、返答はきこえてこない。  非礼をわびつつ、焦ってドアを押しあける。寝室のくらがりのなか、白い影が寝台から垂れ落ちている。主人だ。床に手をついて、だらりと脱力している。  近づいて、そばにひざまずく。盆を床に置き、遠くに押しやる。グラスの安全をきっちりとはかってから、ランスはあらためて主人を抱きおこした。 「エレイン! 気をしっかり保ってください。グラスをお持ちしましたから」  弱りきった幼いからだを膝に抱いて、背をさする。透きとおりそうな雪の頬は、色を失って白いばかりだ。くちびるもカサついてきている。  膝に頭をあずけたまま、エレインは目をうすくひらいた。見あげてくる淡い青の瞳は、もはや焦点があっていない。  ──これは、いけない。  ふりかえってグラスをとろうとしたとき、細いおとがいが動いた。
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