日葵

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悠太が下部組織に合格をしたことを期に、日葵はピアノを辞めたいと母に伝えた。それはベランダで母が洗濯物を取り込んでいるときの、まだ陽のある暖かい時刻だった。 母には止められることもなくあっけなく受け入れられた。それはずっと望んでいたことだった。なのに、ひどく傷つく自分の心を整理することが出来なかった。母から受け取った洗濯物は暖かくって、柔軟剤の香りが日葵の鼻に届いた。それは日葵が選んだフローラルで甘い香りではなかった。今まで嗅いだことのないさわやかなだけの無機質な香りだった。 「汚れが落ちないのよ」 母はそう言い訳をした。日葵は汚れを落とすのは洗剤であって柔軟剤は関係ないことくらいわかっていた。母が日葵に気を使ったということは、その理由が悠太にあるんだと思った。どうせ甘い香りをチームメイトにバカにされたか、バカにされる前に母が気を使ったのかどちらかだと思った。 日葵の存在が母の中から少しずつ消えていくのを感じた最初の出来事。そんなことをふと思い出した。悠太の存在は、日葵の誕生日をないがしろにするだけの価値がある。両親がそう思っているって日葵は思った。 「失敗作でごめんね」 日葵は吐き捨てるように母に言うと、コタツから抜け出して立ち上がった。父があてがったマフラーが肩に垂れ下がっていた。それを闇雲に投げ捨てた。すると、母の作ったケーキに当たって、コタツから押し出されるようにカーペットに落ちてしまった。 崩れたケーキ。散らばるラズベリーとブルーベリー。母の大好きなケーキ。母が日葵も大好きだと思っているケーキ。本当は母に合わせていただけ。本当はイチゴの方が好きだった。甘酸っぱい味は苦手。ウソをついていたのは母に喜んでほしかったから。 「ずっと言おうと思ってたけど、それ嫌いだから。誰かが勝手に喜んでるから、仕方なく合わせてただけだから」 母に何かを言われる前に居間を飛び出した日葵。自分の部屋へと引きこもった。ドアの鍵は閉めたけど、十円があれば溝に合わせて外から開けることが出来た。
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