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「あ、あ、あああーーー!!!」
水夫は慌てて駆けて通を捕まえようとしたが、伸ばした手は足首を掴みそうで掴めず、空を掴んでしまい。
「きゃあああーーー!!!」
通は悲鳴を上げながら、どぼんと海に落ちてしまった。
「まあ大変!」
「早くお通さんを助けてあげて!」
侍女たちは悲鳴を上げ。「何事ですか」と外の騒ぎに船室から出た養性院は侍女から事の次第を聞いて。
「船を止めて、通を助けましょう」
と水夫に命じた。
その間も、通は波にもまれて、のまれて、沈んでゆく……。
(ああ、こんなことになるなんて)
通は泳ぐことができない。
ふと、隣の高松藩のお殿様は家来に模範を示すために堀で泳いだという話を思い出して。
泳ぎを教えてもらうんだった、とかなんとか考えたが。
口をかたく閉じ。目も閉じて。海水が入らぬよう鼻を手でふさぎ。身を丸くして石のように全身固まっていた。
(思えば、短い人生だった。もっともっとたくさんの書を読みたかった)
読書好きの本の虫を自他ともに認め、自らも書を著わしている通の脳裏には、憧れていた書のことばかりが走馬灯のように駆け抜けてゆく。
(お殿さま、お方さま、父上、母上、みんな、おさらばでございます)
覚悟を決めて、瀬戸の海の藻屑となって消えゆこうかという通だったが。何かが下から我が身を乗せたような感触がしたと思えば、我が身が浮かび、空を飛ぶようにすいすいと海中を走っているような感触に襲われた。
「えッ!?」
驚きの声が上がった。そのことに気付いて、
「あ、私、息してる!」
と、改めてまた驚いて。さらに、
「えええーーーッ!」
と驚き。驚きっぱなし。
なんと、海の中のはずの我が身は、なぜかスナメリ(砂滑)に乗って空を飛んでいるではないか。
スナメリはイルカと違い背びれがないので、つかまるものがなく。抱き着くようにしてしがみつく。
「こ、これは、私はどうなってしまったのですか」
おろおろする通に、
「お気を確かに」
と、なだめる声がかけられる。が、それは誰の声であろうか?
「どなたですか、そのお声は」
「私です、スナメリの砂介と申します。お見知りおきを」
「スナメリの砂介?」
「危ない!」
通はあまりのことに気を失いそうになってよろけた。
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