久々の再会

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12月初旬、押し入れの奥の段ボールからこたつ布団を取り出す。それを居間に運び、ヒーターを軽く雑巾で拭いてから本体と天板の間に挟む。スイッチを入れ、暖かい空気が足を包むころ懐かしい気配を感じる。 実に9か月ぶりだ。 (やあ、久しぶりだね) こたつのどこからか声が聞こえる。 お久しぶりです、とこちらも返す。 私はこの人を、こたつさん、と呼んでいる。 物心ついたときには、すでにこたつさんはいた。私が産まれて間もなく父方の祖母から譲り受けたものらしい。こたつさんは私と二人きりの時にしか話さず、声質は温かみのあるおじいさんのような声を発する。もしこれが子どものような声ならこたつ君、特徴的な、例えば歌舞伎役者や吟道のような、へへー、と頭を下げたくなる声ならこたつ様と呼んでいただろう。 こたつさんは、こたつさんという単語がパズルのピースがはまるように幼いながらしっくりきたので今でも変わらずそう呼んでいる。 (元気にしてたかい) 「えぇ、相変わらず。もう21になっちゃいました。」 (そうかそうか、元気は嬉しいね) ニコニコしている姿がありありと目にとれて見える。 (今年なにか変わったことはあったかい) 「はぁ、まぁ、実は、祖母が亡くなったんです。」 しばし2人の間に沈黙が流れた。 (そうか、律子さんが…そうか…) 落ち込んだ声に目が微少に潤んだが、必死に抑える。 私よりも長い年月を共に過ごしたこたつさんの方が遥かに悲しいだろう。 (律子さんの足はいつも少し乾燥していて、厚みがある健康的な形をしていたなぁ) 私はうっすらとしか覚えていない。足を温めることを仕事としているこたつさんにとっては、それぞれの足の形は必然的に覚えてしまうらしい。 (それは、寂しいねぇ、聡ちゃん、寂しいねぇ) 今年初めて名前を言ってもらえたな、と筋違いなことを思った。 しばらくこたつさんは寂しい、と消え入りそうな声で呟いていた。 昔から、死に関することが怖くてたまらなかった。 小学校の中学年には、学校からの帰り道にふっ、と死んだらどこへ行くのだろうと考えると足がすくんで動けないことが多々あった。 友人に話すと案の定笑い話にされ、そこからは自分の中に悩みを閉じ込めた。 死んだらどうなるのか、今のこの記憶は死んだ途端になくなるのだろうか、死後の世界はあるのだろうか、どのくらい眠るのだろうか、数十年
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