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序章*(竜司と冬彦)
八月が、もうすぐ終わる。
軽井沢にも。紅葉の艶やかな衣をまとう秋が、直ぐそこまで来ている。
そんな晩夏の夕暮れ時。薔薇園を囲む生垣の中に隠された小さな潜り戸を開けて。背を丸め、肩を落とした少年が出て行こうとしている。後ろ姿を見送る二十歳の若者の口が動いた。
「冬彦」、思わず引き留めようとして、竜司の手が途中で止まる。
こぶしを握りしめ、引き留めようとした声を喉の奥に押し戻した。冬彦と別れると決めたのは竜司だ。
だが冬彦が消えた隠し戸を見つめたまま、動くことが出来なかった。
周防竜司が冬彦と出会ったのは、二年前の初夏のことだ。
二人はこの薔薇園で出会った。その頃の十八歳だった竜司は、家庭を無くして悲嘆にくれていた。軋む心を抱え、とても荒れた生活を送っていたのである。
大好きだった母が亡くなり。母の居なくなった家に、それまでも良い夫とは言い難かった父が、(母の一周忌も待たず)若い愛人を連れて来たのだ。やがて女は周防家の後妻に収まったのだが。それが許せなかった竜司の心は、行き場を失った。
家を飛び出した竜司は、画家を生業にしている叔父の彰人が執事と二人で暮らす、軽井沢の別荘に転がり込んだ。
周防竜司、十八歳!・・母が亡くなって半年後の事だった。
大学に休学届けを出し、750CCの大型バイクを乗り回し、喧嘩に明け暮れる、そんな日々だった。
そもそも母の結婚は、叔父の彰人が周防コンツェルンの後継者の椅子を蹴ったせいで起こった悲劇。曾祖父が周防コンツェルンを起こし、祖父が有数の財閥に育て上げた。そんな周防家だったが、当主の祖父は人でなし一歩手前の権力の亡者だった。
長男の彰人が実業家タイプでは無いと見極めると、アッサリと捨て去り。彰人のたった一人の妹だった母を、十五歳以上も年上の男と無理矢理に結婚させ、周防コンツェルンの副社長の椅子をその男に宛がったのである。
父はお嬢様育ちだった母に、直ぐに飽きたようだ。貞節などと言う言葉とは無縁の男は竜司が生まれると、周防家の跡取りを創る責任を果たしたとばかりに。次々と愛人を囲っては、母を哀しませた。
そんな不幸な結婚生活に疲れ果て、持病の心臓病が悪化した母は陽炎が消えるように息を引き取った。それは竜司が高校三年生になってすぐの頃だった。
「想定の範囲内だ」、とでも言ったらいいのだろうか。
祖父と父はそんな可哀想な母の死にも、涙の一粒も流さなかったのである。
そのことが竜司の生き方を変えた。
深い人間不振に陥り、非行一歩手前の荒れた生活を送るようになった竜司を、祖父と父は今度もアッサリと見捨てたのである。竜司の家族は、家を出て暮らしていた画家の彰人だけになった。
そんな心の修羅場を抱えて生きていたあの頃。別荘の庭でたまたま出逢ったのが、当時十歳だった冬彦だった。
その頃の竜司は。叔父の別荘に転がり込み、勝手に薔薇園の中にあるコテージを占領して棲み付いていた。
父から生活費の援助を止められ、母の残してくれた預金で食い繋いでいた。それは自由気ままの日々、そして孤独でもあった。喧嘩騒ぎなどは日常茶飯事で。
叔父も呆れるほどの、自堕落な生活に浸って生きていたのである。
冬彦と初めて会ったのは、夕暮れの逢魔が時。
何時ものように喧嘩に明け暮れ、傷を負った竜司は。薔薇園の中にあるライオンの噴水の水で、血のにじむ傷口を洗っていた。
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