雪起こし

8/12

3083人が本棚に入れています
本棚に追加
/77ページ
*** バレンタインセールの喧騒の中、あれほど並んでいたお客さんの列も途切れがちになって来た頃、インカムで何か話していた綾子チーフがレジに戻って来た。 「雪が降って来たそうだから、雨用のショッパーにして。」 綾子チーフの指示に、リボンをかけていた手が一瞬止まった。 今朝の気象情報では、明日の未明から雪という予報だった。まさか、こんな早まるなんて思ってもみなかった。 『カーサ』というロゴ入りのオレンジ色の紙袋に、透明のビニールを被せたものが雨の日用だ。 ラッピングスペースにある程度は置いてあるけど、足りなくなるかもしれない。 「ショッパー、取りに行ってきます。」 行くならお客さんが途切れている今だと思った私は、倉庫に向かった。 袋は大・中・小と3種類ある。 今日はバレンタインのチョコを買うお客さんがほとんどだから、小を多めに。 閉店までの残り時間を考えて、適当な数量を手にした。 「環。」 ハッと振り返ると、倉庫の入口に朔夜が立っていた。 「あ、大丈夫。持てます。これぐらいで足りますよね?」 ビニールで滑りやすいけど、小が多いから1人でも持てる。それでも、朔夜が見に来たのは、数量の見積もりが私では不安だったからかもしれない。 もう2年目なのに、私は去年の朔夜に比べてあまりにも未熟だ。 朔夜があんなに仕事をマスターしていたのは、憧れの”綾子さん”に認められたくて頑張ったからだということに、今頃気付いた。 綾子チーフは朔夜にとってプラスになる人なのに、私は足を引っ張っているだけ。勝ち目なんかあるわけない。 「あ、うん。それで足りると思う。それより、環。今夜、大事な話があるんだ。遅くなるかもしれないけど、絶対、環の家に行くから。待ってて。」 「大事な話? 何だろ。怖いな。」 冗談っぽくハハッと笑って見せたけど、きっと引きつった笑顔だっただろう。 ついに来たと思ったから。 元々、バレンタインデーは仕事が立て込んで遅くなることはわかっていた。だから、どこかオシャレなレストランでデートなんてことは初めから考えていなくて、私の狭いアパートに来てくれることになっていた。 わざわざ念を押すことないのに。 朔夜は今日で終わりにするつもりなんだ。 いつになく真剣な顔に、彼の決意が見えたような気がした。
/77ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3083人が本棚に入れています
本棚に追加